小説

『ある日、図書館で』石咲涼(『三枚のお札』)

 そう自分に言い聞かせ、優しそうな医師にお礼を言って、励ましになるかわからない言葉を母にかけて、娘を迎えに行った。

 お迎えがただの子供を引き取る時間ではないと気が付いたのは、入園して数ヶ月経った頃だ。特に共通点もなく出会った人達と毎日会話するのは義務教育以来で、考えてみれば随分違和感のあることだ。”自分という人格プラス理想を乗せた子供”の比較というのが常に会話に現れる。つまりママ達の様々な思いが交錯する場なのだ。もしこれがプライベートの集まりだったなら、私は誰とも親しくならないだろう。そう思っているのに話を合わせる矛盾した自分が、いつしか空回りを始めていた。
それでもなんとかその場をやり過ごして帰宅し、嵐のように時間が過ぎ去って寝る時間になる。
 しかし、最近は泥のように崩れて眠りたくても、寝ている時も耳の音が鳴りやまない。
(お札を使ってみようか)
 私はお札を出してみた。不満と苦痛だらけの私なんてもう嫌だ。一枚くらい使ってもいいのではないか。
 三枚とも絵が違う。どれも美しいけれど、とりわけ心惹かれるのは薄水色の紙に淡いピンク色で花のような蝶のような絵が描かれているものだ。
 眺めているとあの優しそうだったおばあさんを思い出す。慌ただしい日々の中で久しぶりに訪れた穏やかな今朝の時間を。
(こんな美しいお札になんて似合わないお願い事なんだろう)
 ふとそう思ったら、もう使うことができなかった。
 三枚のお札って、子供の頃に読んだけど、山姥に食べられそうになって命からがら願い事をしたのよね。確か、山や川を出してもらって。
 私、命とられそうではないなあ。山みたいにどーんと大きなお願いってなんだろう。
 そんなことを考えながらいつの間にか寝てしまっていた。
 朝になると少しだけ痛みが引いていた。

 次の日のお迎えはまた地獄だった。幼稚園でイベントが数日後に控えているので謙遜や探り合いの混じった大げさな会話が繰り広げられる。たかがお迎え、されどお迎え。
 少し遅めに行ったのでもう会話はできあがっていた。中心にいるのはいつも同じメンバー。本当はこんな会話入らなくたっていい。でも、ママとしては入っておいた方がいいんだろうと仕方なくいつも加わった。けれどもなぜか、今日は参加しなかった。
もういい。疲れた。
 するとそこに「こんにちは」と軽やかに挨拶をしながら美香さんが来た。
「あら、今日は早いのね」
「そうなの、今日は早くあがる日で、その後予定があるからこの時間なの」
「忙しいのね。でもいつもきちんとして爽やかですごいね」
 思わず私は本音を言った。どうしてこの人はこんなにも自然な笑顔でいられるんだろう。
「そんなことないよ。私シングルマザーでしょ、でね、親の介護もあるの。もう時間がなくて! 今はヘルパーさんにお願いするのも大変で、もうあれこれ困っちゃう。今日もこれから色々手続きなんだ」
 美香さんはものすごい笑顔で言った。いつも小奇麗で清々しく、親の介護をしているなんて想像もつかなかった。
 私は言葉を失ってまじまじと美香さんを見た。

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