小説

『豪雨』中村市子(『蜜柑』)

「雨戸、閉めておけよ」
「うん」
「ブン太が外に出たがっても、雨が弱まるまでは出しちゃダメだぞ」
「はぁ」

 強まる雨脚の中に軽トラのエンジン音がまじるのを聞きながら、私はブン太の背後でストーブのおこぼれに預かってうつらうつら物思いにふけった。

 あの黒猫は私から父を奪った。泥棒猫だ。ブン太だって、父のわずかな財産を食い尽くしている。やっぱり泥棒猫だ。猫ってどうして、泥棒しながら平気な顔でのんびり眠っていられるのだろう。私は上司を奥さんから泥棒して、仕事も家庭も失った。そして今、死に場所を求めてこの家に帰ってきた。罪悪感に押しつぶされそうだ。私も猫みたいに図々しく無責任に生きれたら……。

 ふと気づくと、いつの間にか窓の外は暗くなり始めていた。
「あれ、寝ちゃったわ」
 こちらに尻を向けていたブン太が振り返り、不愉快そうな目で私を見た。
「なにか?」
 私は不機嫌に言った。ブン太は「フンッ」と鼻を鳴らして、また微睡みへ戻っていった。私はムッとしてブン太の座布団を乱暴に引っこ抜いた。ブン太は驚いてわずかに開いていた窓の隙間に体をねじ込み、降りしきる雨の中へ走り出でいった。雨は益々勢いを増していた。庭に出てブン太を探したが姿は見えなかった。私は諦めて家中の雨戸を閉めて回った。

 父の軽トラが氾濫した川に流されたと消防団の仲間から連絡が入ったのはそれからすぐだった。

 3日後、父は川底に沈んだ軽トラの中で変わり果てた姿で見つかった。車内には水浸しになった猫缶が大量に残されていた。おばあちゃんを高台の公民館に避難させたあとスーパーに寄り、家への帰路で車ごと水に飲まれたようだ。あの日以来、ブン太も姿を現さない。ひょっとすると、父と同じように水に流され死んでしまったのかもしれない。

 それからひと月が経ち、私は庭を眺めてぼんやりしていた。父のいない実家はまだしっくりこない。父が死んだ実感もまだない。だから悲しみも感じない。ふと、庭に気配を感じ顔を向けると、ブン太がふてぶてしい顔で堂々と座っていた。
「ブン太!」
 私は思わず声を上げ、そろりそろり近寄った。と、その時だった。ブン太の後ろからぴょこんと子猫が三匹転がり出てきたのだ。ブン太が図太い声でにゃーと長く鳴く。子猫たちがミャーミャー騒いでいる。

 私は慌てて仏壇に供えておいた父の「遺品」の猫缶を開け、ブン太と子猫たちの前に置いてやった。先にブン太がガサガサと食べ出した。それを見て、子猫たちも缶に頭を突っ込む。ブン太は少し横にずれて場所を譲り、子猫たちが食べるのを見つめていた。ブン太は太ったオス猫ではなく、妊娠した母猫だったのだ。子猫の大きさからして、きっと台風の直後に産んだのだろう。もしかしたら、安全な我が家で産みたかったのかもしれない。それなのに、私のせいで出産という一大事を危険な屋外でこなさなければならなくなったのか……私は罪悪感でいっぱいになった。

1 2 3 4 5