小説

『月影』和織(『竹取物語』『内部への月影』)

「あの人は今どこにいるの?私あの人に会いたい」
 光里がそう言うと、祖母は彼女から目を逸らし、俯いた。
「佐伯さんは、まだ・・・」
「サエキさん・・・」
 彼の記憶が、光里の中に返ってくる。そうだ、サエキさん。近所で体操教室の先生をしていた。学校の帰り道で転んだところを、たまたま助けてもらって、そのとき、体の傷を見られてしまった。それから気にかけてもらうようになった。お菓子をくれたし、一緒にアイスを食べたりした。いろんな話をしてくれた。そして、彼は戦ってくれた。彼は光里の戦ってくれた、唯一の人だった。
「あの人は光里に会うつもりはないって」
「どうして?」
「自分はただの人殺しだからって」
「そんなの・・・違うじゃん」
「佐伯さん、あなたを両親から引き離さないと、もうどうしようもないと思ったんだって。いろんなところに相談したけど、みんな、あなたを助けないでいる為の理由を探してるみたいで、光里が死んでしまうまで、それが続くような気がしたって。「ただ助ける」ことが、どうして出来ないのか、自分の想いが咎められるようなことばかりで、わからなくなって、あるときふと、自分一人の力だけで、あなたを救えると気づいて、実行してしまったんだって。でもね、結局それは自暴自棄だったんだとも言ってた。きっと別の方法があった。あなたに出会ったのが、自分じゃなければよかったのにって」
 自分でなければ・・・・・。確かに、体操の先生だった彼が、あのマンションの部屋に忍び込んで、寝ている二人の人間を殺すのは、物理的には簡単だっただろう。でもあのとき、どこかで、そういうこと全てを理解していながら彼を招き入れたという自覚が、光里にはあった。そこには枯渇した小さな人間の、生に対する欲が、くっきりと存在していた。
「私だよ。おばあちゃんたちの娘を殺したの、私だよ」
 光里がそう言うと、祖母は目を閉じて首を振る。
「もういいのよ。私たちにはもう、あなた以上に大切なものなんかないんだから」
 その言葉が本当だったから、光里は涙が出た。祖母は彼女の手を握った。片方の手で、光里はまたカーテンを開けた。窓の向こうの満月は、もうただの月だった。光里はそれを眺めながら、影になったあの人を想った。

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