小説

『こんがらがった線』いいじま修次(『金色の糸と虹』)

 難しい『こんがらがった』が無くなってしまい、気落ちしていた彼に、心理学の教授が声をかけた。
「有名な方だから、君も存じているだろうが」
 そう言って紹介されたのは、テレビに出演する事も多い思想家の老人で、世界情勢や環境問題、哲学や宗教など、あらゆる分野に精通した人格者だった。
「あなたは成績が優秀な上、各国語も堪能で、知識も豊富なそうですね。伺った所では、頭の中で入り混じった線をほどくとか」
 彼は『こんがらがった』を説明した後、思想家と語り合った。
 人と接することが何よりも幸せという思想家の姿は、彼の心に温かさを感じさせた。

 相手の目を見て語り合う喜び。
 彼は、今までの自分をどこか恥ずかしく思った。

 だが、思想家がふいに発した難しい言葉により、感じた温かさは消えた。
 その難しい言葉がグジャグジャした『こんがらがった』となって思想家の口の前に現れ、彼の心は乱れたのである。
 言葉の意味を聞くべきか、自分でほどくか――
 彼は相手の目を見て意味を聞く事を選ばず、視線を口の前に下げ、自分でほどく事を選んだ。

 
 更なる『こんがらがった』は、彼が社会人の時――
 それは、テレビのクイズ番組出場中にあった。

 大学卒業後、彼は難しくて珍しい言葉を求め、カウンセラーやコンサルタント等の職に就いたが、長くは続かなかった。
 知識や資格を得る事に苦労は無かったが、接する相手と目を合わせず、口元ばかり気にしていたので、「知識はあるが、心が無い」と言われてしまい、人間関係を築く事が出来なかったのである。
 職を失う事より、興味深い言葉を得る機会が無くなった事に気落ちした彼は、生活費の為、テレビのクイズ番組に出場をした。

 他の出場者達との一歩も譲らぬ書き問題を終え、早押しの問題になったその時――まだ口を開かぬ司会者の頭の上に、ゴジャゴジャした『こんがらがった』が現れた。
 相手の言葉を待たなくても、その思考が『こんがらがった』として見える。
 彼は耳を塞ぎ、司会者の頭の上に注目した。
 周囲からは不安や奇異の目で見られたが、それはすぐに驚きの目に変わった。
 何問か出題されていく間に、ほどき方のコツを掴んだ彼は、耳から手を離し、そして出題と同時にボタンを押し、次々と正解を重ね始めたからである。

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