小説

『隣の惑星』夏川冬人(『静かな湖畔』)

 ある日の昼間、昼寝も終わり裾野に向かう途中のことだった。楓の木は変わらず生き生きとし、家主の足元には枝葉が積もるほど落ちていたが、今日はそれを拾うことはなかった。ふと家主はもと来た道を真っすぐに戻り、林を抜け泉の前で立ち止まる。家には入らず、木材の手入れも行わず、ただ泉の周りを見渡していた。泉を見ながら幾度か瞬きをしたとき、泉が少しくすんで見えた。今朝は早くから晴天が続き、日中を過ぎても雲を見ることはない日だった。一度空を見上げ、水際の黄色い花に目を落とし再び泉に目を当てたが、泉のくすみが消える事は無かった。家主はその日の木材集めを止めにして、再び空を見上げることなく家路についた。玄関の隙間から午後の穏やかな光がさしていたが、それには目もくれず家に着くなり眠りを急いだ。開け放たれた寝室の扉から入りこむ風が、家主の頬をかすめる。心地よい風に時折目を覚ますが、ただ翌朝を待ち続け、何度も起きては目を瞑る。家の隅で佇む木材は、いつもより傾きながらそこに立っていた。それ以来、家主は木材集めを止めにした。来る日も来る日も眠り続けては、朝を待っていた。眠るには心地よい日が続いていた。

 ある日の朝、朝日が昇る少し前の薄暗い夜明けに、家主は泉で体を洗っていた。体を清めた後、食事を摂り、山へと発つ支度を進めている。家を発つ頃には夜は明け、風もなく朝日がまぶしく差していた。泉の前を通り芝生を進み、山の裾野へと向かう。泉の湧出は変わらず、水の音が響いていたが、家主に聞こえる様子はない。魚は群れを成して水中を泳ぎ、水草を躍らせていた。泉の周りでは変わらない生活が続いている。裾野に着くと、家主は林の中を見回していた。毎日の様に削り続けていた楓の木には目もくれず、楓の根の周りを歩き続けた。ふと立ち止まり、足元に落ちている枯葉を手に取ると、家主は一度頷いた。落ち葉が積もる林のその先に、木が生え揃わない場所がある。生命の影は無く、地面はやや隆起をしていて、枯葉の音もない場所である。その広場は家主によって削られて出来た地ではなく、以前からここに存在していた。土の質は悪くはないが、未だ木が生えた様子もなく、その場の景色はいつも同じであった。日もすっかり登り切り、穏やかな午後に差し掛かるとき、家主はその場に訪れた。

 同日の午後、家主は再び木材を集め始めた。削りに向かう楓の場所はいつもと違い、林を更に上った先だった。そこは鹿たちの住処でもあり、顔馴染みの二頭の鹿は突然の来客に驚いていた。体のいい楓を見つけると、家主は黙々と作業に没頭し始めた。鹿たちは家主の後を追い、家主が抱える木材をつつき始める。山に住む鳥たちも家主の取りこぼした落ち葉で遊び始めていたが、家主が気に留める様子もない。広場と林の往復によって、真新しい楓の幹に次々と削り跡が付いていく。一通り木材を集め終えると家主は広場に戻り昼寝を始めた。家主の隣には削り取られた木材が小さく積まれている。家主の挙動がなくなり退屈していた鹿たちも、いつしか広場に寝そべっていた。短い睡眠を終えると家主は木材を組み立て始めた。木材の隅を丸く削り取り、幾重にも重ね合わせて、揺りかごを作り上げた。その揺りかごに積もるほどの落ち葉を敷き詰め、その後、広場の隆起した場所に穴を掘り、揺りかごをそこに置く。余った木材で出口に蓋をしたところで、小さな穴倉がそこに出来上がっていた。家主は出来立ての揺りかごに入りしばらく寝そべっていたが、やがて眼を閉じ再び昼寝に没頭し始めた。日の温もりを帯びた落ち葉のなかで、いつしか昼寝も夜に達していた。

1 2 3