小説

『隣の惑星』夏川冬人(『静かな湖畔』)

 翌朝、家主は広場の周りを歩き回っていた。地面の匂いを嗅ぎながら右へ左へ不規則に歩を進めている。歩きながら広場の落ち葉や石ころを丁寧に拾い集めていた。朝食を終えた鹿たちも、家主の不審な動きの真似をして遊んでいた。ひとしきり広場を歩き回ると、家主は林の入口へと向かい、再び辺りを見回し始めた。右往左往するうちに、林の中を流れる小川を見つけて立ち止まり、川の際に座り込む。川の流れを聞き、しばらく考え事をした後、家主は小川と広場とを交互に見比べていた。その後、家主は川の際から広場に向かい、地面と平行に穴を掘り始めた。小川の流れが掘った穴に伝わないように、川の際を板でせき止めながら進んでいく。家主の見たその小川は、泉から脈々と続いている川だったが、家主には知る由もなかった。

 その日の午後に至る頃には、家主の掘る穴は広場にまで達していた。広場に着くと、家主は広場に作った穴倉の傍に大きな丸い穴を掘り、穴の周りを頑丈に固め始める。そこは小さい井戸のような穴であった。固め終えると家主は小川の際に立てておいた板を外した。やがて、小川の際から静かに、水の流れが穴に向かい始まっていく。始めこそ静かな流れであったが、小川の力を借りて見る見るうちに穴に水が溜まっていた。穴いっぱいに水が溜まると、家主は板を再び小川の際にせき止め、水の流れを元の小川に戻す。その後、家主は井戸で体を洗い、山から日の落ちる様を見たところで、揺りかごに入り、眠りにつく。その生活はかつての泉の傍での住処と同じであった。泉の湧出は少しずつ減っていたが、小川の流れは清らかなままであった。

 翌日、早朝から林を降り泉へ向かう影があった。小走りに林を抜け、楓の木を通り抜けていく。時折立ち止まっては辺りを見渡しながらも、それはまっすぐに泉に向かっていた。泉に着くと水を飲み、泉の傍に建つかつての家主の家を眺めている。芝生に座り家を眺め続けて、少し下を向いた後、何食わぬ顔でそれは家の中に入っていった。しばらくすると、家の中からいびきが聞こえ、泉の周りに響き渡っていた。午後になり日も高くなると、それはやっと起き始め、泉で体を洗い始めた。泉の際で食事を摂り、黄色い花を眺めては、再び家に戻り体を休めた。翌日には山へ木を削りに向かい、山と泉を往復する生活が始まった。幾日もそれと変わらない生活が続き、音もなく過ぎていた泉の周りで、新たな家主の暮らしが始まっていた。その生活ぶりは、かつての家主と同じであったが、泉の湧出が戻ることはなかった。その家も、いつしか新しい家主の家へと変わっていた。
 翌日も、泉の周りと林の中でそれぞれの生活は続いていた。泉が見渡せる場所にかつての家主の姿は無く、泉の水の音も林の中には届かなかった。新しい家主は山から木を削り、泉と寝食を共にし始めていた。小川の水は清らかさを増し、泉の湧出は減り続けていた。魚や鳥もその変わり様に気付いていたが、泉と共にそれを見守ることしか出来なかった。泉の際の花の下には、かつての家主の尾っぽの毛が落ちていた。

1 2 3