小説

『箱』平大典(『浦島太郎』)

「お静かに願います。……この数週間、竜宮城では夢のような暮らしをさせていただきました。乙姫様からは手厚い歓迎を受け、おいしい料理もいただきました。また、カレイやヒラメの皆さんには素晴らしい舞を見せていただきました。このような経験は、決して地上ではかなうことはないでしょう。しかしながら、私も地上の人間。故郷が恋しいのでございます。長い間お世話になりましたが、明日地上へ帰ろうと思います」
 思わぬ展開に一同はざわめいた。
 俺も開いた口が塞がらない。
 復讐しようにも、これでは機を逸してしまう。
 ぼうっとしていると、乙姫様が「これ、ヒラメ」と俺を呼びつけた。
「なんでございましょうか」
 乙姫様は少し元気がなさそうに思えた。
「浦島殿は、竜宮城の客人である。土産の品を包むことにした。そちに準備を命ずる」
「仰せのままに」
 俺は心の内で、ほくそ笑んだ。

 
 その日の夜、俺は土産の品を包んでいた。サンゴをかたどった金製の置物、海に差し込む光芒模様の着物などで、どれも高級品だ。
 目的の品はあった。
 魔女から受け取った櫛笥と瓜二つの逸品だった。何が入っているかは知らぬが、俺はさっさと魔女の櫛笥と入れ替えて、風呂敷で包んでしまった。

 
 浦島が去って数日後、乙姫様が俺を玉座まで呼びつけた。
「寂しいものですね」乙姫様は人払いをしており、二人だけであった。
 何の話であろうか。
「私も同じ気持ちです」本当はせいせいしている。「彼は無事地上へ?」
「ええ、亀から報告を受けております。数週間ぶりに地上へ戻ったのだから、喜ぶに決まっておりましょう」乙姫様は一旦間を置いた。「とはいえ、驚くこともありましょうね。ヒラメ、あなたを呼んだのは、秘密の種明かしをするためです。これから話すことは他言無用なのです」
「承知いたしました。この場限りとさせていただきます。具体的にはなんでしょうか」
「まず、浦島様は地上へたどり着き、絶望するのです」
「なぜでしょうか」
「こちらと地上では、時間の流れが異なるのです」
「それがどうしたと」乙姫様の意図がいまいち掴めぬ。
「こちらの数日は、地上の百年なのですよ」乙姫様はくすくすと笑う。「家族も友人も死に絶えており、きっと、浦島様は絶望される。そして、あの玉手箱に手を付けるのです」
 玉手箱と言われ、心音が跳ねる。
「なぜですか」動揺を隠す。
 土産を差し替えたなどばれたらどんな目に遭うか。
「困ったことがあれば開けなさいと告げてあるのです。それで彼は永遠に私のものでしょう。あの人は海に戻らざるを得ない」
「何が入っているのですか」
 乙姫様はくすくすと笑う。

1 2 3 4