私はあの日以来、麓での理解者探しを止めた。なぜなら、理解者が見つかったからだ。
基本は元いた山での生活に戻ったが、時々老婆の家に顔を出しに行くようになった。老婆の名はディナといった。ディナは私の話に真摯に耳を傾けては「世の中、生きづらいものよねぇ」と共感を示してくれる。食べきれなくて余った肉を分けてくれることもある。彼女の孫娘であるサナが訪ねてきた日には、三人で散歩に出掛けることもあった。祖母に似たのか、サナもオオカミである私のことをすぐに受け入れてくれた。
私はそのお礼に、家に入り込んだネズミなどの駆除を買って出たり、木の実採取の手伝いをしたりした。ディナに「ありがとうね」と言われると、山の中での窮屈さや苦しさが吹き飛ぶ気がした。
持ちつ持たれつの理想の関係。人間とオオカミ、異なる生き物同士ではあるが、ディナやサナと私は確かな絆で結ばれていた。今まで生きてきた中で、感じたことのないような幸せな時間が流れている。
これが一生続けばいいと思っていた。
***
私がディナの家に通い始めてひと月ほど経ったある日、ディナが風邪を引いて寝込んでしまった。大した風邪ではなかったから一安心したものの、しばらくは安静にしていなければならない。その間買い物などはできなくなる。そのため、サナに食料などを届けにきてくれないかと頼んでおいたらしい。そして、もうそろそろ届けに来る時間だという。私は一人で荷物を運ぶのが大変だろうから手伝ってやろうかと、家を離れ町へ続く道を駆けていった。
しかし、いくら道なりに進んでも、いくら同じ場所で待っていても、サナの姿が見当たらない。もしや何かあったのかと脇道や人の寄り付かない場所も確認する。しばらく走っていると、花畑の中に、赤い何かが蠢いているのが見えた。あれはディナがサナに作ってやったという、サナお気に入りの頭巾だ。間違いない、サナだ。サナが花畑に座り込んでいる。
「あら、オオカミさん、迎えに来たの?」
近付いていくと、こちらの心配など知らぬようにサナは祖母によく似た柔らかな笑顔で振り返った。どうやら花を摘んでいたようだ。両手には色とりどりの小さな花が握られている。
「あなたが寄り道なんて珍しいですね」
言いつけは絶対守る、まじめな性格のサナだ。寄り道をするとは思わなかった。
「右目に傷のあるオオカミさんに会ってね、どこに行くのか訊かれたから、風邪で寝込んでいるお婆ちゃんの家に行くのよって言ったの。そしたら、お見舞いにそこのお花畑の花でも摘んで行くといいって、教えてくれたの」
右目に傷のあるオオカミ。頭の中に、ある一匹の姿が浮かび上がる。とても嫌な予感がした。
「急ぎましょう、お婆様のところへ」
「えっ、どうしたの?」
サナの質問に答えるより先に、私はディナの家へと駆け出していた。
私はサナが出会ったというオオカミを知っていた。よく私を馬鹿にしていた、山一番に卑劣な性格のオオカミだ。奴のことだ、きっと良からぬことを考えている。私の予想が正しければ、サナが花畑に行っている間にディナを食べるつもりに違いない。
家に着くと、玄関扉が開けっぱなしになっていた。遅かったか、と焦りながら寝室へ急ぐ。寝室の中には、ベッドで眠るディナの上で牙を剥き出している片目のオオカミの姿があった。幸いにもディナはまだ生きているようだったが、奴は今にもディナに齧り付こうとしている。それを見て、遅れてやって来たサナが悲鳴を上げた。その瞬間、奴がこちらを向いた。今だ!
「ディナから離れろ!」