小説

『幸せなオオカミ』福間桃(『赤ずきん』)

 手掛かりを探してあちこち見回していると、頭元に銀の平たい器が置かれていることに気が付いた。器の上に一口大に切られた何かの生肉がいくつか並べて乗せられている。匂いを嗅いでみると、どうやらウサギの肉らしい。いかにも怪しげだったが、限界に達していた空腹に負けて私は器の肉をぺろりと平らげた。
「あら、起きたかい」
 すると後ろから人間の声がした。振り返ると、背の低い老婆が優しい笑みでこちらを見ていた。私はとっさに身構えた。人間に遭遇したら、まず猟銃などの武器を持っているかを確認し距離を取るのが癖になっていた。だが、老婆の周りにはそれらしいものは見当たらなかった。
 警戒したのが伝わったのか、老婆は「構えなくてもいいのよ」と変わらず笑顔で私に近付いてきた。私が今まで出会ってきた誰からも向けられたことのない笑顔だ。
「あなたは、私を恐れないのですか」
 恐る恐る訊ねてみる。私が知っている限りでは、人間はオオカミを見たら一目散に逃げるか武器で攻撃してくるかのどちらかの反応をするはずだ。笑顔で歩み寄ってくるなんて予想外だ。
「そりゃあ、初めはビックリしたけどね。でも、怪我しているのに放っておけないでしょう? それに、今だってお前さんは私を襲ってこないからね。優しいのねぇ」
 私は、この老婆のほうこそ優しい人間なのだな、と思った。相手を見た目で判断しない。言葉を交わして、しっかり相手がどういう者なのかを理解する。この人間は、私を理解している。
「今日はいい天気だったから、ちょっと森の中を散歩していたの。そしたらお前さんが倒れているのを見つけてねぇ。覚えているかい?」
 そうか、私が倒れたあの後、この老婆が助けてくれたというわけだ。痩せているとはいえ、私を連れ帰るのは老婆一人ではさぞ大変だったであろう。誰かに手伝ってもらったのだろうか。しかし、家の中には他の人間の気配はしなかった。
「あなたはここに一人で住んでいるのですか」
「そうだよ。町のほうには娘夫婦と孫が住んでいるけど、どうも私は町の騒がしい暮らしよりこの森での静かな暮らしのほうがしっくりくるから、私一人で住んでいるのよ」
 人間の中にも生きづらさを感じるような者がいるのか。私のそれとは違うのかもしれないが、似た者同士だと感じた。
「ウサギ、まだたくさんあるからお食べ。よく食べてよく休めば、あっという間によくなるさ」
 老婆は私の頭を撫でて、私に掛かった毛布を掛け直した。

   ***

 それから私は順調に回復していき、十日後にはすっかり野山を駆け回ることができるようになっていた。

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