小説

『犬を一匹』樋渡玖(『花咲か爺さん』)

 庭にその犬のお墓を建てて、毎日エサや水を与えているのは隣からよく見ていました。
 その犬のお墓の後ろには、昔から大きな欅の木がありました。勿論犬が来る前から、老夫婦が住む前くらいからあったんじゃないかと思うくらい立派な木です。
 それなのに急に犬のお墓から木が生えた! って言いだしたんです。
 あの子が寂しくないように木を生やしてくれたんだ。神の木だって。
 人のこと言えない年ですけど、ほらお二人とも高齢ですよね。だから、もしかして認知症の症状でも始まってしまったのかなと思って聞き流していたんです。
 ところがある日突然その立派な欅の木を切ってしまったんです。怪訝に思っていたところ、突然杵と臼があの老夫婦の庭に置かれるようになりました。どうやらその欅の木で臼と杵を作ってもらったようです。はい、あのお餅をつく臼と杵です。
 その辺りからかなり不気味には思っていました。警察に通報しようか悩んでいたのもこの時期です。とはいえ自宅の木を切って杵と臼を作っただけで罪になるわけでもないし、警察も動いてくれないだろうと思って放っていました。
 そのタイミングで一度言ってほしかった?
 そうやって責任を私たちに押し付けないでくださいよ。私たちはただの隣人なんですから。ね、隣に住んでいるだけなんですよ。
 はい。で、その杵と臼を使ってお餅をつくようになりました。それも毎日。昼夜問わず。
 お餅をつく音ってどんな音かわかります? 
 うまく言えないのですが、湿ったものを弾くような音です。木がぶつかる渇いた音と湿ったものを弾くような音が交互に毎日毎日。
 小さい頃聞いたときは意識していなかったんですが、あの音ってなんだか人を手で叩いたときのような音がするんですね。まるで誰かを平手で叩いているような音。
 それで私たちも参ってしまって。文句を言おうとお隣にいったんです。
 怖くなかったか、ですか? そりゃ怖かったですよ。もうおかしい人間だって分かっていましたからね。でも耐えられなかったんです。
 あの老夫婦、私たちが文句言った時もずっとニコニコしていました。まるで張り付いたような笑顔で笑いながら、見てくださいっていうんです。いいから見てくださいって。
 顔は笑っているのに、目はまるで底なし沼のように真っ黒で、私たちを見ていなかった。怖かった。だから本当は見たくもなかったんですが、このまま逃げるのも怖くて、見に行ったんです。言われるがままにあの臼の中を。恐々しながらのぞきました。
 そしたら……臼に入っているのは普通のお餅でした。何の変哲もない餅つき大会で見るようなつきたてのお餅。甘い匂いが広がるばかりで特に違和感はなかったです。
 拍子抜けして聞くと、あの老夫婦が言うには、お餅をついていたらお金が発生したそうなんです。つくたびにお金が発生するので、毎日ついている。あの犬のお墓から生えた木で作った臼と杵だから、こんな奇跡が起きていると。ケタケタ楽しそうに笑っていました。

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