小説

『彼が持つ宇宙』蒼(『銀河鉄道』)

 外から風が吹き抜けて、カーテンを靡かせ、私たちの髪の毛を揺らした。その時、日向先生の目の奥で、宇宙が見えた。月、太陽、金星、木星、土星、水星、ブラックホール、銀河、彗星……、そして、私たちが今ここで生きている地球。彼の目の中に宇宙があるというのなら、その中で私も生きているのかもしれない。宇宙は地球の空よりも果てしなく大きく、未知で、すごく好奇心をかきたてられるものであると同時に恐怖を抱かせられる。そんな大きい存在に人類は何度か挑戦して、月に旗を立て、火星に住もうとしている。私が思う以上に、人類はすごいことを成し遂げ続けてきて、でもその成し遂げて来たことは宇宙にとってはほんのちっぽけなことで、それがなんだか不思議で、遠い世界のように思えた。ブラックホールに飲みこまれたら最後、もう戻れない。それなら彼の目に存在しているブラックホールに吸い込まれたら―――。
「菅野さん」
 日向先生に声をかけられて、我に返った。私は今何を考えていたんだろう。深いところまで行ってしまったかのように、汗をすごくかいていた。
「大丈夫ですか、気分が悪いのなら保健室に」
「いえ、大丈夫です。考え事をしていただけなので」
「そうですか」
 日向先生は私から視線を外すと、再び校庭の方を見て、「校庭なんですが」と話しかけてきた。
「砂の模様を見ていました」
「砂の模様?」
 そう訊き返すと、日向先生は「ええ」と微笑んだ。
「複数の足跡と砂が乱れた跡には数学が隠れています。僕はそれを考えていました、あの中にはどんな数式が生まれているのか、と」
「……以前、数学には詳しくないと言ってませんでしたっけ」
「ええ、言いましたね。ですから僕には数式を見つけることは出来ない。その代わり、想像することはできます」
「想像ね」
 想像力でどうにかなるものなのだろうか、と心の中で考えていると、日向先生は、いけませんよ、想像力を侮っては、と言った。
「知識を養うことは生きる上で大切です。しかし、知識は時として、思考を偏らせたり、頑固にさせたりしてしまいます。そこで、想像力が必要になってきます。柔軟性は想像力と一緒にあると考えていいでしょう」
そしてそれは自分から半径三メートルの世界をよりよくします、と日向先生は話した。その言葉が私の心のなかにスッと染み込んで、人生において大切なことの一部になった。
「しかし、全ての物事に対してよりよくすることはできません。想像力を豊かに持ったとしても、救えない命や、解決できないこともあります。ですが、だからこそ必要になってきます。今は救えなくても、これから先、もしかしたらきっかけができるかもしれません。もしくは自分自身の力になります。狭い視野で生きていくということは、苦しい生き方を選ぶということです」

 職員室で日向先生と話すことはあまりないのだが、珍しく一言、二言交わした。それだけだった。日向先生は以前にも似たようなことを話したことを言った。私はそれが日向先生の口癖なのかもしれない、と仮定を立てた。それに対して私は、「数学が苦手だとおっしゃっていたのに」と返すのだった。日向先生はクスリと小さく笑うと、いつものマグカップでコーヒーを飲んだ。

1 2 3 4