つまらなさそうに日向先生に言うと、彼はコト、と近くにある机の上にマグカップを置いた。
「いいえ、ありますよ。もっと周りに目を配って見てください」
「周り?」
周りに目を配って見て、と言われても、紅葉になりつつある木々、バタタと羽ばたく鳥たち、薄い空、煙突から出る煙くらいしか、目につかない。これのどこが一体何があるのだろう。目を細めてみるがなにも分からなかった。
「何が見えましたか」
「木と鳥と空と煙突と煙しか」
「ああ、ちゃんと見えてますね」
「これのどこが見えてるというんですか」
日向先生は私が言った物たちを指差した。「木、鳥、空、煙突、煙」と言いながら。
「これらは僕にも見えています」
「そうでしょうね、目が見えるのですから」
「では菅野さん、これらの景色は確かに存在しているものでしょうか」
「存在している、と思います」
「もし、これらの景色が、脳の産物だったら? あなたから見た僕も産物だったら?」
急に話が難しくなってきたので、私は戸惑った。日向先生が言おうとしていることは分かる。要するに、日向先生から見た私は、脳の産物ではなく、確かに存在しているという証拠はどこにあるのかということ、そしてそれは逆もまたしかりで。だけれど、もし、今見えているものが全部脳の産物だったら。もし、痛みも悲しみも疑問も、そういう自分という存在内から生まれているものも含めてすべてが脳の産物だったら、私は一体誰で、私は一体どこにいるのだろう。延々と答えが出ないまま、可能性だけが留めることを知らないまま広がっていく。それなら、地球というのはなんだろう、地球だけじゃなく、宇宙というのは―――。
「宇宙というのは何でしょうね」
日向先生が私の考えていたことを綺麗に抜き出して、提示してきた。こういうところも含めて彼は掴みどころがない。ミステリアスともいうが、それ以上に聡明で、必要なことだけを綺麗に切り取ってくる。そういうところは丁寧で繊細な生き方にも思う。
「宇宙は……。分からないです」
「人類にとっても未知なことが多い存在ですが、地球のことを知るには、宇宙という存在は避けて通れない存在です。地球のことを知るということは、全世界の歴史、人類学、動物学、科学、数学、文学、言語学、天文学……、幾つ挙げてもきりがないほど、学問で満たされている。面白いと思いませんか? 宇宙というたった一つの存在ですらも、地球と関係があり、そしてそれは僕たちにも関係があるということです」
「それは、面白い、かな」
「少し複雑な話をしてしまったかな。でもこの話を聞いて面白いと思えるのなら、菅野さんはきっとこれからも本当の意味で生きていくことが出来ます」