小説

『ある彫像について』平大典(『地獄変』)

「この作品……」私は作品を向き直します。
「ええ、私にとって最高傑作です」
 荒木さんは言い切りました。そのおかげでしょうか、私の手の震えは収まっていきました。
 聞くべきことはたくさんありました。
 なぜ警察に彫像が破壊されたと通報しなかったのか。あの個展にわざわざ夫を呼んだのは、この作品を作るためだったのか。わざと私に破壊させたのか。いや、たまたま私が自分の作品を破壊する場面を目にしただけかもしれません。
 私は一言だけ伝えました。
「実くんとは別れたのです。二カ月前に」
「え、そうですか」荒木さんは少しだけ目を見開きました。「それは失礼しました」
 私たちはしばらくの間彫像の前で佇んでいましたが、お互いに言葉を交わすことはありませんでした。
 作品がすべてを物語っていました。
 私にとって人生最悪な瞬間が、彼女にとっての最高傑作の糧となったのです。
 やがて、荒木さんは誰かに呼ばれて、姿を消してしまいました。
 それ以来、彼女とは会っていません。

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