小説

『世の中から時計が消えた夜』もりまりこ(『シンデレラ』)

 わたしは頭を整理する。わたしはこの人をはじめからこの人だと思っているけれど。このスーツにサンダルのこの人は、本来の姿ではないらしい。
 でね、あの話は午前零時になったら、元の姿に戻るっていうじゃん、だからさっきから聞いて回ってたんだ。

 それからわたしとその人は、暮れてゆく夕闇の中にいた。
 今日サンダルなのは、いつも靴屋で先のとんがったレザーシューズばっかり履いているせいだと、会話の間をつなぐように教えてくれた。

 今日で世界はおわってしまうのかな?
 その人が呟いた。
 でもさ、もし世界がおわってしまうんだとして。よくわからないけれど君とこういう感じで、過ごしてるって俺はわるくはない感じがしてる。君はどうなのかしらないけれど。
 わたしも同じみたいなことすぐには言えなくて。会話の間のような凪があった。彼が何かを聞きたそうにしていた。

 もし違ってたらごめんね。
 なに?
 もしかして赤ちゃんいる?
 その人の視線はすぐそらしたけれど、わたしのお腹辺りにあった。
 どうして?
 なんとなく。

 この人は靴のサイズは言い当てられなかったけれどわたしのお腹の赤ちゃんのことは言い当てた。
 じゃ、旦那さんに迎えに来てもらえば?
 カボチャの馬車で?
 シンデレラ信じてるのかい!って彼はツッコんだ。
 別れてしまったからいないよ。もしかしたら死んでしまったかもしれない。
 ストレートに答えた。
 そうなんだ。それはごめん。
 そんな会話をしている時、通りの向こうから林田さんがやってきて、おーい何してんの?
って息を切らしながら走って来た。
 あ、林田さん、どうしたんですか?
 どうしたんですか?じゃないよ、しおちゃん。 
 今日一日なにがあるかわからないからとりあえず、部屋の中で待機だって。意味わからんよね。世界中の時計が止まるだなんて

 その人とわたしは林田電気店の門を再びくぐった。

 店には時間の正しくない時計たちがいくつもあった。
「これは?」
「あぁこれね。あいつがね時計がすきだったんですよ。腕には巻かないのに、こうやって気に入ったデザインのものを買ってきては、置いておいてさ。置きっぱなしにしている間に時計の秒針はとまったりして、壊れてしまうのにさ」
 亡くなった林田さんの奥さんのことだった。
「のに?」
「そう、壊れてしまうのに。いつか正しい時間を時計の針がさすときが来るって信じていて、こうやって寝かせて置くのが癖でさ」
 魔法をかけられたらしい彼が、すごく興味をもって見入っていた。今日の為に林田さんの奥さんは狂った時計のコレクションをしていたかのようだった。

 こうやってみんなでいれば大丈夫だよ、林田さんは呟いて、奥の部屋でお茶の用意をしてくれてるみたいだった。
 その人がぽつりといった。
 この世で一番小さな時計は「まだ生まれない赤ちゃんの心臓だ」って誰かの言葉を教えてくれた。

 その言葉を何処かで聞いたことがあること思い出していた。
 別れた夏生だった。わたしは無意識にお腹の辺りを摩る。

 林田さんとわたしは、シンデレラになり損ねたらしいその人とひっそりと時計に囲まれた部屋で、午前零時になるのを待っていた。
 時間を失ったみんなでその店を囲んでいると、わたしははじめからどこかでこの人達と家族だったような気がしていた。

1 2 3 4