「見ていいの?」
「もう必要ないナ。もし気が向いて小説を書くようになった時は、是非とも使ってほしいナ」
「だいぶアクロバティックに方向転換しないとない気がするけど……」言いながら、わたしはパラパラとノートを捲ってみた。
パッと見では、面白いのかどうか、というより何が何なのかわからない。だが、ノートの一行毎に几帳面な字が収まっているのを見ると、彼がいつか読み返す自分のために、アイデアを一つずつ丁寧に記している姿が浮かんできた。そしてその姿は、中三の時、わたしの隣で先生の話も聞かずに黙々と小説を書いていた彼の姿とも重なった。
そういう全てを、トモミツ君は手放そうとしているのだ。
「そろそろ時間だナ」トモミツ君が言った。「たぶん、これが人間としての最後の時間だナ」
「この前テレビで観たんだけど」わたしはパタンとノートを閉じる。「猫は猫なりに、過酷な戦いの中で生きてるんだよ。虎やライオンみたいに派手ではないかもしれないけど、他の猫と縄張り争いしたり、カラスに襲われたり、獲物を獲るために爪研いだり。ただ日なたで眠ってるだけじゃないんだよ」
「そうなのかナ?」
「そうなんだよ」わたしは言った。「だから、トモミツ君の中にあった気持ちは、絶対に恥じるような呑気なものではないと思う」
フー、と息を吐く音がする。威嚇ではなく、溜息なのだとわかる。
「最後に会えたのが君なのは、まあ、運が良かったと思うべきなのかもしれないナ」
「最後じゃないよ。まだ何も終わってない」
否定も肯定もなかった。ただ、闇の奥から「ナァァー」という猫の鳴き声が響いてきただけだった。
それは、猫が小さな身体から発する、精一杯の雄叫びのようだった。
あれからわたしは、ペット可のマンションを探して引っ越した。
今は休みになると日がな一日、パソコンに向かってキーボードを叩いている。小説を書き始めたのだ。
ネタのストックは山ほどある。これからも増えていくことだろう。
わたしの膝の上では、猫が難しい顔をして丸まっている。
きっと新しい小説のネタを一生懸命考えているのだ。