しかし本を読んでみて、その重苦しい小説で作者は、何を言いたかったのか、と言う疑問が湧いて来た。
若い頃は、老人など自分には関係のない生き物と思っていたが、その老いが、自分の近くまで迫っている。今は、古希として祝われる七十歳が、昔は、山に捨てられる歳であったのだ。
今の世の風潮に敢えて冷水を浴びせるように筆を進めた作者の意図が、今の義男には、分かる様な気がした。
それは老人達よ、浮かれること勿れ。老人にとっては、死に方を考えることが、最期の生き方なのだ。それを言いたかったに相違ない、と思えた。
今でこそ医療も年金も国が面倒を見てくれる時代になった。
しかし、そのような社会制度が整備される前は、家族の紐帯だけが生命を支える全てであった。
そして、人間の生命など鴻毛よりも軽かった。
そのような時代に老人達は、何を思ったか?
それは、身体のあちこちの痛さに耐えて死を待つよりも慫慂と極楽へ行くことの方が自分のためであり、細やかな食糧を家族に残してやれる唯一の手段と信じたのだ。このように考えるのも人間らしいのではないか。
義男は、このような想いに至ると今の自分の生き方に疑問を感じた。
医療の進歩のお陰で、百歳も珍しくなくない時代となり、七十歳など、そこへ至る通過点になってしまった。
そして年金は、細やかながら老人達の生活を支えて旅行や趣味を楽しむことを可能にした。
現代の医療と社会制度の幸いは、昔から人間を悩まして来た生・老・病・死の四苦から大きく解放してくれた。
しかし、そのような老人の下へカルチャーセンターや旅行の案内、投資の勧誘、はては熟年婚の紹介等まで悪魔の囁きの様な勧誘メールが、送られて来る。
そうなると解脱した筈の老人にも更なる欲望が膨らんで来て、新たな悩みを生んで行く。人間の欲望には限りがない。
老人は、これ以上の欲望を膨らませるべきではない。今の幸せと豊かさに感謝すべきなのだ。
そして、どう死ぬか、と言うことにもっと心を砕くべきなのだ!
義男の中で心が、そう叫んでいた。
さらに冷酷な声が、彼を一撃した。
「何が楢山節考だ。お前は、「辰平」よりも残酷な人間だ。お前の場合は、老いた親だけではなく、兄弟も故郷も捨てて一人だけ温く温くと都会で生きて来たではないか」
義男は、衝撃を受けた。そして極めて自然に心が決まっていた。故郷に帰って来よう、最期は、ここで死ぬのだ。
しかし、一つ心配なことが残っていた。それは、息子の豊のことだ。二浪して入った大学をようやく卒業してシステム設計会社に入ったが、入社して七年目に退社し自宅に引きこもっているのだ。その辞職の理由は、義男にも同情するものがあった。
豊は、勤務して五年目にあるシステム開発のサブリーダーに昇進した。五人のプログラマーを指揮するその役職に豊は、全力を注いだ。