小説

『オサム君との思い出』ノリ・ケンゾウ(『思い出』太宰治)

 それからオサム君とはあまり話すこともなくなってしまい、林間学校も、運動会も終わって、一年のうちのほとんどの行事は終わった頃に、私はまたオサム君と一緒に週直をやることになる。オサム君は私のことを見つけると、掃き掃除は君がやって、と箒を渡してきた。オサム君の様子が不貞腐れているみたいで、せっかく一緒に当番ができると思って少し楽しみにしていた私はなんだか悲しくなって、嫌だ、オサム君がやって、と言い箒を返した。それから今思うと自分でもびっくりするくらいにはっきりとした口調で、それに君じゃなくて私はみよって名前があるの、みよ。と、私を君と呼ぶオサム君に文句を言う。オサム君は少しびっくりしたあとに、ごめん、と小声で謝った。気まずい沈黙が流れて、我に返った私は、こちらこそごめん、箒、もらうよ、と手を伸ばして箒を受け取った。すると、みよ、と声がして、急に声が聞こえたのに驚いて振り向くと、オサム君がこっちを真っ直ぐに見つめていた。え、と声が出ると、オサム君はすぐにまた気まずそうに下を向き、みよさんは……と言ってしばし黙り込んだ後、芥川先生の劇、面白かった? と訊いた。ううん、全然。と私が答えると、オサム君は、はは、と声を上げて笑った。笑ってすぐ、恥ずかしかったのかいつもの仏頂面に顔を戻した。私がオサム君の笑った顔を見たのは、この時の一回きりだった。笑った方がオサム君は格好いいと思ったが、それは言えなくて、オサム君は次の学年に進級するタイミングで、別の学校に転校することになった。

 転校すると決まって、オサム君の最後の登校の日。朝早く登校した私は、オサム君が一人で自分の荷物を片付けているところに居合わせた。教室には二人だけだった。オサム君は私を見つけると、つかつかと歩いて近づいてきた。唐突にオサム君が近寄ってくるので、私はこの上なくどぎまぎしていたが、オサム君はおもむろに鞄の中からくしゃくしゃになった原稿用紙の束を取り出して、これ、みよにあげるよ、と言って私に手渡した。みれば、「鳩の家」と題が書いてある。劇でボツになった作品だった。ありがと……とあまりに急な出来事で困惑しながら礼を言うと、オサム君は自分の後頭部を触って髪をくしゃくしゃ触りながら、みよって名前は……いい名前だと思う、とぎこちなく言った。私はとっさに言葉が出てこなくて、オサム君の顔を茫然と見ているだけだった。私が礼を言う前に、オサム君は体を翻して、自分の席に戻って荷物を片付ける続きをした。それがオサム君と交わした最後の会話だった。オサム君のその後は分からない。どこで何をしているのかも、まったく知らなかった。けれども最後にオサム君にもらった原稿だけは、手元に残してあって、その原稿を見るたびにオサム君との記憶を、ほんの少しだけ思いだす。オサム君と私は、二人とも両想いだったんじゃないかと、私は当時を回想して思う。けれど私もオサム君も、言いだせなかったのだろう。言いだせるはずもなかったし、言ったとして、別にそれが何になるわけでもなかっただろう。だから後悔も何もないけれど、ほんの少しだけ、甘酸っぱい記憶ではあった。うんまあ、いい思い出かもしれない。感傷に浸りながら、オサム君にもらった原稿を改めて読んでみる。読むのは何度目かだけれど、どこが面白いのかは、何度読んでもさっぱり分からなかった。ふん、そんなの知ってるよ。オサム君の不貞腐れた声が、どこかから聞こえた気がした。

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