小説

『オサム君との思い出』ノリ・ケンゾウ(『思い出』太宰治)

 劇の内容は、クラスのみんなからアイデアを募ったものの中から、投票で選ぶことになった。合唱の方もそうだった。アイデアを出したのはオサム君を含めて数名の生徒だけで、それとは別で芥川先生もアイデアを出した。私はいつも無口なオサム君が手を挙げて発言をしたのを物珍しく思った。あとからオサム君に直接聞いたのだけれど、オサム君は舞台を見るのが趣味らしく、自分でも脚本を書いたりしているとのことだった。オサム君や数人の生徒と、芥川先生がそれぞれ自分の考えた劇のタイトルとそのあらすじを簡単に説明して、その後にみんなで投票をすることになった。
 芥川先生が作った簡単な投票箱にみんなが並んで四つ折りにした紙を入れていく。よしじゃあ開票しようか、と芥川先生が言って一枚一枚用紙を取り出して、タイトルを読み上げて、結果が出た。一番得票数が多かったのは、芥川先生が脚本した話で、クラスの約九割が先生の考えた劇に投票した。国語の先生であった芥川先生の考えたのは、夏目漱石の「吾輩は猫である」をパロディにしたもので、ただの中年のおじさんが事故で頭を打ってしまった拍子に、自分を猫だと思い込んでしまい、近所に住む人や職場の人間とちぐはぐな会話劇を繰り広げると言う喜劇で、今になって考えれば学校の劇でやるような内容なのかと疑問をおぼえるし、そもそも子供相手に真剣になって脚本を考えるなんて大人気ないとも思ったが、芥川先生にはときにそういう、生徒に対しても冷酷な部分があった。それに、芥川先生の説明の仕方はすごく面白く、先生が概要を話すだけで皆おかしくなって笑い転げていた。二番目に得票数が多かったのが、別の生徒が考えた「ロミオとジュリエット」で、これは単純にシェイクスピアの「ロミオとジュリエット」を短めに焼き直しをするとのことだった。オサム君の考えた「鳩の家」という作品は三番目の得票数だったので、劇でやることは叶わなかった。親を失って傷ついた鳩の子供を、同じく一人ぼっちの人間の子供が助け、助けた鳩のため、鳩の巣を見よう見まねで作ってやろうとするが何度やってもうまくいかなくて、ようやく形になったと思ったら鳩の子は死んでいた、という話だった。集まったのはたったの二票で、たぶん私と、オサム君の二人の票だけだった。
 劇の演目が決まって、合唱の歌も決まったところで、授業が終わった。
 その日、週直当番だった私とオサム君は、皆が一目散に教室を出て帰宅していく中で、残って黒板を消すことになる。私とオサム君に、芥川先生が声をかけ、あとはよろしく、と言い残して外に出ようとすると、オサム君は先生を呼び止めて、投票用紙を見せて欲しい、と涙目で懇願した。芥川先生は一瞬、何の話か分かっていなそうだったが、オサム君の様子を見て意味が分かったようで、ああ、これ、投票箱ね、と言いオサム君に渡した。オサム君はそれを奪い取るようにして取った。鈍かった私は、まだオサム君がどうしてそんなことをしたのかが分かっていなくて、無神経にもオサム君に、どうしたの? と聞いてしまった。するとオサム君は、あの人ずるいから、インチキをしたに決まってる、と言い投票用紙を一枚一枚取り出しては中を覗いた。ようやくオサム君が何をしようとしているのかが分かった私は、あ、先生ずるしてたの、とオサム君が言ったことを鵜呑みにして、たしか前にも芥川先生はみんなのことを騙すとオサム君が言っていたことも思いだして、なんだかドキドキして、オサム君に、私も手伝おうか、と声をかけた。オサム君は私の声が届かなかったのか、あえて無視したのか反応せずに、何枚も続けて用紙をひらいた後、ちぇっ、あの先生、やっぱりずるしてやがる、と呟き、私には決して投票箱の中身を見せようとしなかった。私はあのときのオサム君の表情ほど、痛々しいものを見たことは、今の今まで一度もないように思える。私は何を言えばいいのか分からなかったけれども、咄嗟に、私はオサム君の劇に投票したよ、とおどおどと言った。オサム君はその言葉を聞くと、びくっと体を震わして、目を見開いてこっちを見た後に、ふん、知ってるよ、と小さな声で言った。それからオサム君は、黒板に書かれた「正」の字を少し眺めてから、忌々しくて仕方ないというように、強い力を込めて消していった。

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