小説

『彼女が僕を縛ったら』むう(『浦島太郎』)

 急に子供みたいな口調になる。オトは思い出してるんだ。子供の時を。
「お母さんはいつもお姫様みたいに綺麗で、お父さんは王子様みたいにカッコ良かった。お母さんはオトが寝る前にいつも絵本を読んでくれて、オトが寝るとそーっと部屋を出ていくの。でも、オトはホントは寝てないの。寝たふりをしてるの。
 お母さんやお父さんに見つからないように、襖をちょっとだけ開けて、こっそり隣の部屋を覗くの。お父さんもお母さんも裸になって、お父さんはお母さんを赤い紐で縛るの。お母さんはいつも綺麗だけど、縛られたお母さんは魔法をかけられたみたいに綺麗で、すごく幸せそう」
「縛られてるのに?」
 オトは頷く。
「オトはお母さんが羨ましかったから、あの日、お母さんがいない間に、お父さんにお願いしたの。オトもお母さんみたいに、綺麗に縛られたいって。お父さんは驚いて、それからすごく困った顔をしたけど、オトがどうしてもって駄々をこねたら、お父さんは『一番お気に入りの服に着替えておいで』と言ってくれた。大好きなワンピースに着替えたの。お父さんは、ワンピースを着たオトをお母さんみたいに綺麗に縛ってくれた。とっても嬉しかったのに、お母さんが帰ってきて、オトを見て狂ったみたいに泣き喚いた。オトがお母さんを悲しませたから、二人ともいなくなっちゃった」
 オトは、悪いことをした子供みたいに僕の方を見た。
「オトの名前は本当に、浦島太郎の乙姫様からとったのよ。お母さんは浦島太郎の絵本の最後をアレンジして、いつも話してくれたの。乙姫様は本当は太郎が玉手箱を開ける前に追いかけてきて、二人は愛し合って結婚して幸せに暮らすの。二人には可愛い女の子が生まれるの、それがオトよ。オトの名前は乙姫様からとったのよって。だから、お母さんとお父さんがいなくなって、二人は竜宮城に帰っちゃったんだって、オトは思うようしたんだ」
 オトが立ち上がって言った。
「タスケは連れてってくれる?」
 僕が顔を上げると、オトがゆっくりと服を脱いでいた。下着を外す。僕は驚きと緊張で硬直して、でも目が離せない。
「あ」
 思わず、息を飲んだ。オトの真白な肌には、まるで赤いロープで縛られているようなタトゥーが入っていた。
「タスケは、私を縛れる?」
 オトが少し潤んだ目で聞いた。僕はタトゥーに震える指で触れる。
「な……んでこんな。僕は縛れない。縛れないよ。オトが、可哀想だ」
 一瞬オトは虚をつかれたような顔した。それから眉毛を下げて、泣きそうな顔で笑う。
「タスケは優しいね。優しくて、そして正しい」
 僕は、跪いてオトにそっと抱きついた。オトは、僕の頭を母親が子供の頭を撫でるようにした。僕らはそのままベッドに行き、ゆっくりと優しく愛し合ったんだ。僕はオトを壊れ物みたいに大事に抱きしめたまま眠った。オトが、かわいそうで愛しくてたまらなかった。

 目覚めると、部屋の中にオトの姿はなかった。仕事かなと思い、夜になるまで待った。オトは帰ってこない。
 一度家に帰り、次の日もオトの家に行ってみる。まだ帰ってないみたいだ。僕は段々と不安になって、いてもたってもいられなくなった。電車に乗って、新宿に向かう。
 不安な気持ちを紛らわすように、新宿駅からオトの店があるマンションまでがむしゃらに走った。息を切らし、階段を駆け上がる。店には『りゅうぐう』のプレートがなくなっていた。勢い良くドア開けた。中はがらんどうで、まるで最初から店なんかなかったみたいだった。
 憔悴して多岐さんと入ったタイ料理屋の部屋の前に行き、むちゃくちゃくにインターホンを鳴らす。
「はーい」と陽気な声がして、タイ人のお姉さんが出てきた。

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