小説

『彼女が僕を縛ったら』むう(『浦島太郎』)

「はーい」
 オトの声だ。
「あ、ぼ…タスケ」
「入って」
 ドアを開けて中に入った。作りは普通のマンションの玄関と同じだ。「お邪魔します」と小声で呟き、靴のまま部屋に上がる。中は、薄暗くて、ブルーのランプが灯されていた。不揃いのアンティークなテーブルやソファや椅子が適当な感じに置いてあって、男の人が一人と女の人が二人座っている。裸の人や下着姿の人はいないみたいでホッとした。
「座ってて」
 オトに言われて僕は手近な一人がけのソファに腰掛けた。オトはいつもと同じように、着物柄みたいなワンピース姿にぶかぶかのカーディガンを羽織ってた。変な下着みたいな服を着ていたらどうしようかと思ったけど、いらない心配だったな。安心したような、少し残念なような。
 40代ぐらいの女性が椅子に座っていて、オトはその横でその女性が持ってきたらしい子供ぐらいの大きさの人形を、縛っているところだった。女の人はにこにこして見ている。少し離れた場所の椅子に座っている男の人は、服の上から体を縛られていて、一瞬ギョッとした。もう一人、若い女の子が両手だけ、体の前で縛られていた。
 男の人は目を瞑っていてまるで眠っているようだ。女の子は縛られた手のまま、静かに読書をしている。不自由じゃないんだろうか。あ、わざと不自由にしているのか。
 青いランプのせいか深い海の底にいるみたいな、静かで穏やかな空気が流れていた。
 オトは大きな人形を縛り終えると、人形を女性の隣の椅子に置いて、僕の隣の椅子に座った。
「本当に来ると思わなかったよ」
「ね、何なの? ここ?」
 僕はひそひそ声で喋る。
「縛り屋さんだよ」
「縛る? ただ縛るだけ?」
「うん。縛るものは何でもいいの。好きなものを好きな縛り方で。もちろんわからないことがあったら、相談にはのるよ」
 オトは僕の耳に口を寄せると、囁いた。
「あの男の人と女の子は常連さん。男の人は、縛られると安心するんだって。だからか、すぐ寝ちゃうの」
「へえ」
「女の子は、子供の頃に親からお仕置きでよく縛られてたみたい。今でも何か失敗したり、悪いことをすると縛られないと落ち着かないって」
「怖いなぁ」
「人形を持ってきた女性は、縛り方を覚えにきたのよ。パートナーがそうゆう趣味があるのかな」
「はぁ…なんか…オトはすごいな。面白いけど、僕にはよく理解できないよ」
「…わからないよ。タスケには」
 オトは僕の目を真っ直ぐ見た。気まずくなって思わず目を逸らしたのと同時に、インターホンが鳴って思わずビクッとする。
「多岐さんだ」
 オトは立ち上がって受話器を取る。入ってきたのは、年配の(多分60歳ぐらいの)上品なショートカットの女性だった。黒でまとめたパンツスタイルが良く似合っている。髪にうっすら白いものが混じっていた。
 その人は入ってくるなり、僕を見て言った。
「この人が太郎が連れて来たオトちゃんの彼氏?」

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