小説

『彼女が僕を縛ったら』むう(『浦島太郎』)

「え?」
 僕は素っ頓狂な声を出した。
「こんばんは。私オトちゃんとこのお店をやっている多岐と言います」
 スッと手を差し出したので、思わず僕も手を出して握手する。
「僕はオトのあー、えっと」
 オトをチラチラ見るが、知らんぷりだ。
「あのタスケです」
 多岐さんは、心配そうに言った。
「ねえ、オトちゃん彼大丈夫? なんか頼りない感じ。ふわふわしてるわよ」
 オトは、ふふっと笑う。
 そうか、僕はいつの間にか彼氏だったのか。手も握ってないし、キスもしてないけど。告白されたことも、したこともないけど。オトは僕のこと好きなのだろうか? 僕は? 僕は多分オトが好きだ。
「手も握ってないし、キスもしてないのに」
「は?」
「顔に書いてあるわよ」
 多岐さんはニヤニヤ笑う。心を読まれたみたいで、すごく恥ずかしくなった。
「オトちゃん、お客さんの予約があと一人入ってるのよ。タスケ君、ちょっと食事に付き合わない?」
 僕は多岐さんに連れられて、店の外に出た。
 多岐さんはスタスタと歩いて、マンションの同じ階の一番端の部屋のインターホンを鳴らす。
「はい」
「こんばんはー多岐です。今空いてる?」
「どうぞー」
 中は普通のマンションの部屋、そのまんまだった。外人の若い女性が3人、キッチンでお喋りしていた。大きめのテーブルが2つだけ置いてある。
「ここのタイ料理美味しいの。みんなタイ人なのよ。違法営業だけどね」
 内緒と小声で言って、多岐さんはニヤッとした。
 お店というより、タイ人の友人の家に遊びに来ているようなアットホームなお店で、タイのお姉さんは、色々話しかけてきて、ついでに料理もつまんで行ったけど、味はなかなか美味しかった。
「オトちゃんは、身寄りがないから、大事にしてあげて。でも真剣に付き合う気がないなら、すぐに離れなさい。あの子色々難しいから」
 あらかた食べ終わると、多岐さんは、急に真面目な口調になった。
「オトの両親は?」
「行方不明よ。生きてんだか。どこにいるんだか」
 溜息をつく。
「オトは、なんであんな変な仕事をしてるんですかね」
「やだ?」
「いやっていうか…」
「蛙の子は蛙なのかねえ」
「蛙?」
「オトちゃんの父親は、人気のある緊縛師だったから。お母さんは元モデルだったのよ。オトちゃんとよく似て可愛らしい人」
「キンバクシって?」
「SMの世界で人を縛るお仕事の人よ。私はお母さんと同じ会員制クラブにいたの。有名な写真家が緊縛をテーマにした写真集を出すことになって、オトちゃんのお母さんがモデルになったのよ。縛りを担当したのがオトのお父さん。結婚して、オトちゃんが生まれて風俗の世界から退いたの。
二人が突然失踪して、オトちゃんは養護施設に入って、私は……親戚のおばさんみたいなもんね」
 僕はオトの子供時代を聞いて、そんなドラマみたいなことが本当にあるんだと驚き、それから少し気持ちが沈んだ。

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