小説

『恋愛孫子』太田純平(『孫子』)

「ねーねー」
「なんだよ」
「お兄さんって学者さん?」
「学者?」
「大家さんがそう言ってた」
 大家のババア、余計な事を――。
「ねーねー」
「なんだよ。ていうか私は学者じゃない、大学生だ」
「ダイガクセイ?」
「要するに、お前と同じ学生だよ」
「ねーねー」
「なんだよ。私は忙しいんだ」
「あら」
「!?」
 私がガキンチョを追い払おうとすると、ちょうど隣から雪野さんが出て来た。
 私は途端にビシッと姿勢を正し、眉毛の角度も改めた。
「その子は?」
「ああ。これですか。これはあのぉ、下の階の人のお坊ちゃんで」
「ボク健太!」
「健太クン初めまして。雪野です。ごめんね挨拶行かなくて」
「お姉さんもここ住んでるの?」
「そうだよぉ」
「どうして? どうしてこんなボロいとこに?」
 少年よ。ナイス。ナイス質問。それ、出会った時からずっと気になってた!
「うん……ちょっとね」
 雪野さんは急に沈んだ顔になった。そして「それじゃあアタシ」と言ってカバンを肩に掛け直すと、そそくさとアパートの階段を下りて行ってしまった。ようやくポカポカしてきたとはいえ、雪野さんは真っ白なコートを着てお出掛けだ。それがまた似合うんだなぁ。
「ねーねー」
「あぁ?」
「あのお姉さんの事好きなの?」
「!?」
「当たり?」
「外れ」
「うそだぁ」
「あのお姉さん、ちゃんと彼氏がいるんだよ」
「彼氏がいたら好きになっちゃいけないの?」
「そ、そりゃそうだろ。い、一般論として――」
「ねーねー」
「なんだよ」
「告白ってどうやるの?」
「告白?」
「だってお兄さん学者さんでしょう? 頭いいんでしょう?」
「まぁ悪くはない」
「僕ねぇ。いま、好きな人がいるんだぁ」
「ああそう」
「だけどね、その子、クラスの人気者なんだよぉ」
「だったら諦めな」
「えぇ?」
「ムリムリ。やめとけ」
「どうしてぇ?」
「お前、告白する自信が無いから俺んトコ来たんだろ?」
「うん」

1 2 3 4 5 6