小説

『花冠の約束』ハンチング純一(『自殺について』他四篇)

 けれども、肉体が存在しないのに、夢を見ていただなんて、何とも荒唐無稽な話ではないのか。

 のみならず、肉体は存在しないはずなのに、視界がひらけていることもまた、不思議なことだったが、花冠の横に座っている男性の背中が、その疑問を追究する隙を与えなかった。

 紫色の座布団に正座して、仏壇に手を合わせている男性の背中には、何かに深く感謝しているような線がにじみ出ていた。 

 もしかして、あなたは――

 そうたずねようとしたとき、男性の体が反転して、ふたつの視線が重なった。

 ゆるく微笑んで会釈する男性の顔には、ずいぶんと皺が目立ったが、それでもなお、幼き頃の笹野くんの面影は十分に残されていた。

 ダムにかかった吊り橋から落ちてしまった笹野くんを助けようと、水面に飛び込んでいった先生の体が、まぶたの裏側に甦ったとき、ほんの一瞬、笹野くんの背後に青白い光が横切って、「遅くなってごめんね――」という声が聞こえた気がしたと思ったら、花冠がふわっと宙に浮いて、気づけば私はシロツメクサの輪の中にいた。

 ひしめきあう白い花の群れを見つめていた私の目のまわりが青く光って、いつの間にか、目とは違う私の何かが、古い本の中に羅列しているショウペンハウエルの文字列を追いかけていた。

〈…………以上すべてを考えあわせてみるならば、たしかに生は夢なのであって、死はまた目覚めであるという風に考えることができる……………〉

 58年前の私には、この文字が示す意味がわからなかったけれど、生を全うし、肉体を失い、先生と同じように青い光となった今の私には、はっきりとその意味がわかった。

 ――先生、私のほうこそ、遅くなってごめんなさい。

 そして、素敵な本とともに、花冠をありがとう。

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