小説

『澄んだ風と感情の具象化 アニメ的な挿入・エピローグ』誰何苹果(『老人と海』)

 ……心地よい秋晴れの下、遠くから来た澄んだ風、いまだ健全な青芝の上、僕は気候に相反した緊張と共に立っていた。
 びくともしない巨木に背を預けて、こっそりライオンを盗み見る。やつも木の作る涼しい影の庇護下にいる。嫌になるほど大きな口を開いてあくびをしているのは、リラックスしきっている証拠だろう。つまり今がチャンスだ。こちらの存在に気付くと逃げてしまうだろうから、気付かれずに近づく必要がある。ふぅー……。上手くいくのだろうか。
 緊張は高まり、鼓動は早まる。喉までせり上がった心臓が口からこぼれた。慌てて受け止めた心臓は熱く力強く脈動していた。心を落ち着かせ、心臓を飲み込む。僕は無音の一歩を踏み出した。
 抜き足差し足、忍び足。ライオンは僕とは反対にある遠くの山を眺めている。今のうちに出来るだけ近づいておこう、と足を速めた途端、ライオンが矢庭にこちらを振り向いた!
 僕はとっさに地面を掴み、持ち上げた。土と草の織り成す自然の壁である。ひとまずこの壁の影に身を潜めて落ち着ける。胸中で十五秒を数え、警戒しいしい顔を出した——僕の反応の速さが功を奏し、気付かれなかったらしい。とりあえずは一安心し、再び抜き足差し足を始めた。半分程度近づいたところで、再びライオンはこちらを振り向いたが、さしもの僕も同じ手に二度はかからない。落ち着いて自然の壁をこしらえ、ライオンの目をやり過ごす。そしてまたぞろ抜き足差し足。
 あと数歩を残すところ、ライオンの視線を三度処理し、壁から顔出し覗いていると、ライオンの揺らめく尻尾の後ろの何の変哲もない土が、盛り上がっているのに気が付いた。
 ——さっきまでは無かった、と思う。見逃していただけだろうか? 
 腹の底に薄い不安が募る。もう少し様子を見続けた方がよいだろう。
 するとその土の盛り上がりが、ごもり、と微動した。慌ててライオンを見ると、穏やかな気候に抗えず、舟をこいでいる。本来なら今に近づいて、鬣を付けるところだが、やはり気になるのはその後ろ。注視していると豈図らんや、ごもごもと胎動のように微動する土の中から、湿った白い腕が這い出て来た。目を疑った。現象に理解が追い付いていないままに、もう片方の腕、頭から胴体、そして遂には土にまみれた全身を現した。身長が百八十センチはある、男だということまでは分かる。意表外の出来事に度肝を抜かれていたが、下を向いたその男が顔を上げた時さらに驚くことになった。
 石原優作! 土の中? 三年間! 失踪したとされていた彼は、地の下で虎視眈々と機を窺っていたのだ。そのまま彼は、両手に持った土まみれの鬣を、すっかり熟睡に入ったライオンの首周りに装着した。
 自然の壁も崩れ、呆然としていた僕に彼は気が付いた。
「ん? ああ、すまない。君が狙っていたのかい」
「いえ……あのっ、石原優作さん……ですよね」
「……」

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