小説

『澄んだ風と感情の具象化 アニメ的な挿入・エピローグ』誰何苹果(『老人と海』)

 才能がある。僕には才能がある。そんな思い込みも、いよいよ難しくなってきた。こいつを成功させないと、僕の信じた使命が幻と化すかもしれない。五十歩ほど先には雄々しいライオンがいた。
 雄々しい、と言っても雄ではない。いまだ雄ではない、今から雄になるのだ。僕は両手に握った溢れる毛の塊に目を落とした後、再びライオンに目を向けた。今まで見た事のない大きさ、これさえ仕留めることができれば僕の威信は回復するだろう。先月はノルマの三匹を、一匹たりとも達成できなかった。今月もまた、終りに近づいているにもかかわらず一匹も成功していない。しかし、どうだろう、こいつを仕留めるとなると、評価も存分に変わるだろうし、自分でも納得がいく。これが大切だ。それさえ叶えば後は野となれ山となれ、ヘミングウェイ辺りが小説にしてくれるだろう。それ程に貫禄のあるライオンだった。僕は朝空を仰ぎ見た。雑な雲を浮かべた空には、鉄球を咥えた白いカラスがへなへなと飛んでいた。

 時は戻って二ヶ月前、閑静な住宅街を走る少年がいた。岡本と言う現在高校生の少年だ。彼が笑顔で走りながら危うく転びそうになっているのは、バイトが決まったからである。決して喜び過ぎではない、何故なら誰もが夢見る花形バイト「鬣くっつけ」の従業員になれたからである。
 このバイトは、サバンナに駆り出し充分に育ったライオンを発見・捕獲し、鬣を付けるというものだ。人気とは言い条、相当な技術を要するこのバイトはそう簡単にすることは出来ない。筆記試験は受かってもその後の技能試験で落ちるものがほとんどだろう。「アルマジロ丸め」や「ペリカンくちばし膨らまし」、「ゴリラ胸板ステロイド注入」を経験した者でさえ落ちることも珍しくない。他のバイト経験など無い上、一度で合格した岡本は天賦のモノを持っているのかもしれない。
 これほど難しい職業だのにも拘らず、人が集まるのはかつてのスター達の影響であろう。
 華の九十二年という言葉がある。一九九二年にデビューした「鬣くっつけ員」達の事だ。当時三十一歳のビル・デイビスは一日一匹を目標にしており、異例の達成数を誇っていた。彼は今、社長である。当時二十二歳のジャッキー・ツェンファンは今あるほとんどの捕獲法を確立した。女郎蜘蛛と呼ばれたビビアン・モンローはライオンから近付いてきたと逸話の残るほど。その他、グレゴリー・イプセン、トールマン・ディケンズ、アルベルト・ニュートン、サルバドール・ゴッホとにかくこの時代は物凄かった。かく言う岡本少年もビル・デイビスに憧れた一人であった。
 その当時は、雌一匹に対し雄一匹の割合で存在していたのだ。今では多数の雌に対し、一匹の雄で群れを形成するのが主流になっている。かつてのスターがいかに猛威を振るっていたかがうかがえる。最近だと、一七歳でデビューした石原優作が活躍していたが、三年前の謎の失踪以来、目撃証言は一つもない。
 そんな世界に彼は足を踏み入れたのであった。

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