小説

『アババババ』三角重雄(『あばばばば』)

 コンビニのレジの列に、私はFRISKを手にして並んだ。
 私の前には二人、計算上、私のレジはあの子になる。私はFRISKを差し出しながら、
「あと、ヴォーグのメントールください」
 と言うつもりだ。あの子はどんな反応をするだろうか。前回は、
「ラークください」
「何本ですか?」
「えっ?ひと箱です」
「ひと箱?フランク、ひと箱ですか?」
 と言う珍妙なやりとりのあげく、あの子は真っ赤になって謝った。
 謝りっぷりと表情が気に入った。気に入ったというと上から目線だが、正しく言うと胸が締め付けられた。いや、もっと簡単に言う。私は惚れたのだ!
 というのはあの子は、見たこともないほど肌がきれいで色白だから、その肌を真っ赤にしたあの子を目の当たりにした私は、痛々しいような、胸がうずくような、鼻の奥がツンとするような、手をさしのべたくなるような感覚に襲われたのである。これはやっぱり、「惚れた」という現象だろう。
 だから今日私は、ラークでもフランクでもヴォーグでもなく、できればあの子に本当は、もっと別のことを言いたいのだ。
 もとより私とあの子は現時点では、ただの客と店員だ。けれども、ただの客ではあっても客も人だ。人が人としての店員に、秘かに関心を持つことは有り得ないことではないし、たとえ持ってもそれをあからさまに意思表示しないかぎり、好意を持つこと自体は別にアリかと私は思う。
 それでも普通、コンビニを舞台とした客と店員の間では、秘めた胸の裡は胸の裡から出るものではない。つまり、世間一般の客はコンビニの店員に「ラーク」や「フランク」や「ヴォーグ」と言うことこそあれ、個人的感情を露わにして「別のこと」などは言わない。
 そんなことはすべて承知の上で、今日の私はとても普通の客、世間一般の客ではおさまらない気持ちであり、「別のこと」を言わずにはいられない状態なのだ。
 断っておくが、私は決して変態でもストーカーでもKYでもない。あの子ほどではないにせよ、私には人一倍羞恥心があるから、「別のことを言いたい」と言っても、その前に、「もし、周囲に他の客がいなかったなら」という仮定法の条件句がつく。いや、もう一つ、「もし私に勇気があって」というフレーズを、その条件句のそのまた上にのせなければならないだろう。
 さて、私が言いたいことはいたってシンプルで、
「私は望月保(やす)正(まさ)です。あなたの下のお名前は?」
 ということだ。あの子の姓が秋月ということは、名札で知れている。

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