小説

『手と指、心』森な子(『手袋を買いに』)

 私はそれから、ちょくちょく時間を見つけては放課後の理科準備室を覗きに行った。つばめくんはほぼ百パーセントそこにいた。流しの下で、背中を丸めて座っている。たまに本当に眠っているときもあって、そういう時私は、つばめくんが眠る流しに腰かけて彼が目覚めるのを待つ。薄暗い室内で、カーテンの隙間から漏れる日の光に埃がきらきらと照らされてなんだか綺麗だった。
 ある日つばめくんは、ものすごく真剣な顔をして私に言った。
「ねえ桃井さん。桃井さんも噂、聞いているでしょう、俺の」
 私は、コンビニで買った芋ケンピをばりばり食べている最中だったので、急にそんなヘビーな話題を振られてぎょっとしてしまった。やば、と思いながら急いでお菓子を飲み込み、少し思案した後に、
「つばめくんがホモだってこと?」
 と訊いてみた。つばめくんはぶはっ、と噴き出して笑った。私はきょとんとしてしまってしばらく固まったが、つばめくんは尚も変わらずくつくつと笑って、そのあとに「うん、そう、それそれ」と言った。
「うん、まあ、聞いてるけど……何?どうかしたの?」
「いや、どう思う?」
「どう思うって?」
「俺が、そういうふうに言われていることに対して」
 つばめくんはさっきまでの真剣な雰囲気が嘘みたいに吹き飛んで、なぜか少し楽しそうだった。体育座りをしたまま、膝に肘をついて顔をこちらに向けて、私の目をまっすぐに見て訊いてくる。
「どうって……うーん、つばめくん、モテるから、クラスの男子が嫉妬してそういう噂を流してるのかなって思ってたけど。違うの?」
「まあ、そういうのもあるかもしれないけど。でもそれはそれとして、当たってるんだ、男子たちが言っていること、半分ね」
「え、なに。どういうこと?」
「俺ね、皆が人が変わっちゃうくらいに熱心になってること、全然わからない。誰かのこと、自分だけのものにしたいとか、キスしたいとかセックスしたいとかそういうの、気持ち悪いって思うんだ。そういう人も世の中にはいるんだって」
 私はなんだか呆気にとられてしまって「え、ええ?」としか言えなかった。あまりに軽い調子で言われたものだから、内容とのギャップに戸惑ってしまったのだ。でも、つばめくんが、ちょっとだけ不安そうな顔で私を見たので、あ、ここで間違えてはいけないな、と思った。
「つばめくんのこと、ずっと得体が知れないって思ってたけど」
「うん」
「今の聞いて、なんかほっとした。うん。つばめくん、なんかそんな感じするよ。どんな感じかって言われたら困るけど、でも一筋縄じゃいかないかんじ」

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