二人が帰ると猛烈な後悔が押し寄せる。知らなかったとはいえ新二郎をあんな形で帰したことが悔やまれた。なんという最低な父親だと自虐的な想いが胸に広がった。
後悔は胸騒ぎへと代わっていった。新二郎に牡丹燈籠を覚えろと言ったことが気になったのだ。落語の中の怪談噺だと思い直してみるが、どうにもこうにも気になってしかたがない。
菊輔は新二郎のアパートへ行ってみることにした。
4
師匠に「牡丹燈籠」の披露をする日まであと2日と迫っていた。新二郎は体調を崩していた。ナナが来て料理を作り看病してくれるが一向に回復しなかった。
お露が逢いに来るところから先の噺をまだ覚えていないのだ。気持ちは焦るが、ベットから起きられずうとうとと浅い眠りを繰り返していた。
毎日夜の8時ごろになると仕事を終えたナナが新二郎のアパートへやってくる。この日はいつもより遅いと感じた.最近時間の感覚がなくなっている。
アパートの外廊下から女のヒールの音が聞こえてきた。
カッツ、カッツ、カッツ・・・
音は次第に大きくなってくる。新二郎は「ナナが来た」と思った。足音は新二郎の部屋の前で止まった。カチャリと鍵を開ける音がする。
「新三郎さま~」
新二郎は起き上がろうとするが体が重く起き上がれない。声を出そうとするが声も出なかった。体の上に黒く重い気配のようなものが漂い、新二郎を押さえているかのようだ。ナナ助けてくれ。眼が開けられない。
やっとの思いで絞り出すように叫んだ「ナぁ、ナー!」
力を込めて目をカッツと見開いた。女が新二郎の上に覆いかぶさっている。結った髪を振り乱し緋縮緬の長襦袢に黒繻子の帯をだらりと崩し手には牡丹燈籠持っていた。それを振りながらわらっている。
「イッヒッヒッヒッヒーッ・・・」
「わっわわわわーーーーっ!」
「新三郎さま~」
「ちがう、違う!」
「なぜ妻にしてくださらないのです?」
化け物は新三郎の名を呼びながら妻にしてくださいと繰り返し言った。
新二郎はやっとのことで叫んだ。