小説

『思い出のきびだんご』あきのななぐさ(『桃太郎』)

 僕は名乗ることで、この世界に確かにいることになった。

「ほう、勇気があるな、人の子。桃太郎とかいったか、どれ……」
 その途端、あの不思議な感覚がやってきた。

 サトルの時に感じたものに似ている。
 ヒトミさんに見られているような感覚に似ている。

 でも、同じじゃない。嫌な気分だ。

「鬼め! 思い通りになると思うな!」
 刀を抜き、得体のしれないものを切り払う。

 その途端、あの不思議な感覚はなくなっていた。

「ほう、拒絶の意志を示すか。それもよかろう。だが、少し遅かったな。ずいぶん見させてもらった。なるほど、なるほど。あの爺、婆の……。そうかそうか、こいつは滑稽だ」
 楽しげに僕を見つめる鬼のお頭。

「お前……」
「桃太郎だ!」
 僕を示すのは桃太郎という名前。

 それは、お爺さんとお婆さんからもらった大切なもの。
 お前なんかで、呼ばれたくはない。

「ふん、いいだろう。桃太郎。お前が返してほしいあの者たちの記憶がどのようなものか見せてやろう。これを見て、本当に返してほしいと思うかな?」
 不敵な笑いを見せている。

「取り戻す。そのために、僕はここにいる!」
 そう宣言した途端、鬼の頭から何かが僕の中に流れ込んできた。



 不思議な桃から取り上げてくれたお婆さん。
 お爺さんとお婆さんはとても優しかった。
 でも、世間はそんなお爺さんとお婆さんに冷たかった、厳しかった。

 それでもお爺さんとお婆さんは、僕を大切に育ててくれていた。
 そんなお爺さんとお婆さんも、年を追うごとに本当に疲れていた。

 僕は不思議に思っていた。
 なぜ、お爺さんとお婆さんの家は、あんなに村はずれにあるのかを。
 なぜ、僕は大人たちに変な目で見られるのかを。

 その理由がようやくわかった。誹謗中傷にさらされて、二人は村を追われていた。

――なぜ、僕は桃から生まれてしまったんだろう……。

 僕のせいだ。
 お爺さんとお婆さんは僕のせいで、こんなに苦しくて悲しい思いをしていた……。

 ちっとも知らなかった。
 サトルの言うとおりだ。

 僕は、僕のためにお爺さんとお婆さんの記憶を取り戻したかった。
 それはきっとお爺さんとお婆さんもそうだと勝手に思っていた。

 でも、こんな苦しい記憶なんか……。きっとお爺さんとお婆さんは……。

 目の前に、真っ暗な闇が広がっていく。
 体は重く、どんどん沈んでいく感じがする。

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