小説

『誰』沢田萌(『河童』)

 「違う!僕は人間だ」
 「それはお前の妄想だ!そもそも人間なんてとっくの昔に絶滅した」
 「絶滅した?」
 「人間という言葉を耳にするのも恐ろしい。人間は人間同士が殺し合い、肉親でさえ殺す。嫉妬深く、欲深く、平気で他人の物を盗む、人間も自然の一部であるのに文明の名のもと自然を破壊し、自然資源を使い尽くし、その傍若無人な行為によって天変地異が起こり人間は滅亡した。まさに自業自得だ。我々、河童は水の中に逃げ込んで何とか生き残った。地球は人類が滅亡したお陰で美しい地球にもどった」
 「そんなのウソだ! ここに人間がいるじゃないか」
 「人間だと? そのような妄想は極めて危険である」
 「だから牢にぶち込んだのか?」
 「己を人間だと思っている危険な河童がいると通報があった。おまえの行動は当局がずっと監視していた。胡瓜で河童を釣ろうなんて正気の沙汰とは思えん。496番!もはやおまえを野放しにしておくわけにはいかん」
 「ちょっと待ってくれ!通報って何だよ? 危険な河童って何だよ? だから僕は人間だってば!僕の行動を監視していた? 朝起きて、犬の散歩をして、両親と妹と朝ご飯を食べて、学校行って、友達とゲームして……ずっと見ていたのか?」
 河童は大きく溜息をついた。
 「かなり重症のようだ。危険だ!あまりに危険だ」
 「おい、待てよ!ここから出せ!河童め!」
 河童は僕の叫び声を背中で聞きながら立ち去った。
 頭が混乱していた。僕が河童?いや、いや、僕は人間だ。もしかしたら僕の口と鼻を塞いだ布に眠り薬と鏡に映る自分が河童に見える薬を染み込ませたのかもれしない。人間が絶滅したのもウソだ。全部、河童の作り話だ。どうにかしてここを脱出しないと……。壁に穴を開けて脱走しょうか、いや石の壁に穴を開ける道具がない。それじゃあ窓から脱出できないだろうか、いや無理だ。窓が小さすぎて子供でさえ出られないだろう。
 僕は窓の外を見た。
 見張りの河童や脱走防止の塀や鉄線はなかった。そのかわり野原一面に白い花が咲き、無数の白い蝶が飛んでいた。
 そこは牢とは別世界の光景が広がっていた。
 一匹の蝶が窓からヒラヒラと窓から入ってきた。
 「どうして、囚われているのですか?」
 驚いたことに蝶が話し掛けてきた。その声は美しい鈴の音のようだった。
 「話せるの? ねぇ、僕は何に見える? 河童? それとも人間?」
 「ごめんなさい。私は話せるけど目が見えないの。でも、あなたの苦しみ、怒り、悲しみを感じて、お慰めできたらと思ってやって来ました」
 「僕は人間だ。でも、この鏡には河童が映っている。いったい僕はどっちだ」

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