1987年の秋、当時プラハ大学の学生であったダミアン・コストマンは旅先のバンスカー・ビストリツァで路地に打ち捨てられた老人の遺品を譲り受けた。その内の一冊の古びた写本が彼と二人の学生を通じ、10年以上の月日を経て同大学の助教であったバリス・イルハームの手に渡る。彼の検証と解読を経て、ようやく写本は日の目を見ることになる。修復なしでは判読できない程に擦り切れた拍子に刻まれていた書名こそ、『デクテヴェア大森林のエルフたち』。これまで広くその存在を知られながら、断片的な形でしか発見されなかった幻の異界文書だ。
それまでの定説のことごとくを覆し、後のエルフ研究、ひいては亜人研究の形式に多大な影響を及ぼしたこの歴史的名著は、より後世のエルフ研究に触れた我々の世界でもってすら、非常な驚きと共に迎えられた。
トレヴァーは、ほとんど人族の訪れることのない大森林深部、エルフの大規模集落で4年に渡り彼らと生活を共にした。
彼の残した著書『デクテヴェア大森林のエルフたち』 は当初、デクテヴェア大森林を始めとした亜人種領域を巡る紀行文として書き進められている。
奇妙な植物に奇怪な昆虫。読み物としては魅力的であっても、あくまでも先人の足跡を追う物見遊山に過ぎず、学術的価値の認められない序章に続く一章では、当時人族未踏の危険域とされた大森林深層に迷い込んだトレヴァーが、年若いエルフに命を救われ、交流を得て初めて知り得た知識が散りばめられている。そしてそれは、異界人類が初めて知り得た知識でもあった。
伝聞とは全く異なるエルフの世界への驚愕も冷めやらぬまま、トレヴァー自身が集落のエルフたちに次第に魅せられてゆく様を見せつけるように、寝物語で語られる姿とはまるで違う彼らの日々が赤裸々に、活き活きと綴られ始める。これこそが、異界の歴史さえ決定付ける異種研究の原点となるとは、トレヴァー自身は露とも思っていなかっただろう。
エルフの寿命は 30年程度である。これは近縁種と比較すれば非常に長いものだが、それでも人族から見て長寿であるとはとても言えない。
無論エルフが人知を超えた神秘の存在でない以上、トレヴァーもまた、数千年生きるという巷説に疑問を抱かなかったわけではない。しかしながら集落を訪れて間もないトレヴァーは、人口や生活水準に比して文化の成熟度合いが非常に高いことから、エルフが人族よりも長い期間を生きることには間違いないと結論付けている。
といっても、現在の常識に照らしても、トレヴァーの結論は決してそう的外れなものではない。寿命の短い種族は後代への継承というボトルネックにより文化的に成熟し得ないというのが当時の定説であり、今現在もエルフを含めた一握りの例外を除いて覆されてはいない。