フロアを見渡している女の視線とジュリアンのそれとが重なった。それは一秒も留まることなくその先へ流れていったけれども、それだけで十分だった。彼の胸のうちを代弁するかのようにトランペットの〝汽笛〟が鳴った。「チャタヌガ・チュー・チュー」。
ジュリアンは呼吸を忘れた。
「カモーン! 見ろよ、ターナー中佐がお出迎えだぜ」
はしゃぐフランクに我にかえると、女の元に中佐が歩みよるところだった。よく見ると、女の背後には日本人の老人が立っている。正装した白髪のその紳士を、ジュリアンは彼女の父親かと思ったが、それにしては年寄り過ぎていた。
執事なのかもしれない。女との距離の取り方、控えめな、しかし忠心のにじみでるようなたたずまいに、彼はそう推察した。
近づいてきたターナー中佐に、女は深く頭を下げた。そして驚いたことに、語りかけてきた中佐に執事の老人ではなく彼女自身が直接返答している。さらに、いつも不機嫌そうにガムを噛んでいる中佐が、彼女の言葉に頬の肉を揺らせて笑うにいたると、再び会場の空気が変わった。
女たちの嘲笑は止み、男たちは礼儀正しく彼女から視線を外した。
「すごいな。どこのご令嬢だろう」
口笛を吹くフランクに、バスルームに行くと断ってジュリアンは階段を下りる。彼女の声を聞いてみたかったのだ。
バンドの演奏はあいかわらずへたくそだが、男女のコーラスは悪くない。〝汽笛がビートを刻めば、テネシーはすぐそこ〟。ジュリアンも口ずさむ。緊張をやわらげるために。しかし、彼が階段を下りきる前に、女と執事は中佐に続いて、隣室に去ってしまった。
中佐直々のナビゲートってわけか。彼女が何者であろうと、今夜の賓客であることに間違いない。
なかなか戻らない彼らにジュリアンは焦れた。焦れる、というめったに味わえない感情をあきらかに彼は楽しんでいたのだが、隅のテーブルで頬杖をついている彼は所在なさげに映ったのか、顔見知りの上官夫人が彼を無理やりフロアに引きずりだし、二曲ほど踊るはめになった。
さらに別の夫人と三曲目を踊っている最中、夫人の〝金髪〟(根元だけがブルネットである)のなびく向こうに、彼はようやく、戻ってきた女を見た。
女は執事の引いた椅子に浅く座り、長いスカートに隠されている脚を横に流している。執事が何か尋ねると、微笑みながら手を横に振った。飲み物を断っているのだろう。彼女は、ふぅと小さく息を吐くと、改めてバンドを、そして踊っている人々に目をやった。
心なしか、パートナーの夫人のステップが小気味よくなったのを、ジュリアンは感じる。横目で周囲を観察すると、ふしだらないたずらをしかける将校も、嬌声をあげるパンパンガールも、彼女たちに眉を顰める白人女性も、まるで礼儀正しい紳士淑女のように優雅にダンスを楽しんでいるのだった。