そうした瞬間を、彼は愛した。何ものかに心をつかまされる瞬間。それは詩の一部だったり、光景だったり、心憎く思う女と初めて身体を密着させたときに立ちのぼる匂いだったり。
けれど、それは、すぐに霧消する。あるいは醒める。
自分は、長く続く満ち足りた感動をもつことなく、一生を終えることになるのではないか。
何の根拠もなく、ジュリアンは思う。誰かが、それは若さの驕りだと言ったところで彼はその人物に、はしばみ色の瞳で軽蔑の眼差しを送るだけだっただろう。
「庭園もあるんだ。今度昼間訪ねてこいよ。君みたいな詩や小説を書く人間には、おあつらえ向きにロマネスクな場所だろ」
フランクの言葉にジュリアンは肩をすくめ、階下の、ジャズもどきで踊る人々をみやった。宴もたけなわ、といった様子で、上官のだみ声や女たちの嬌声がひときわ大きい。ああ、ウィンナ・ワルツを踊る、紳士淑女と総入れ替えしてやりたい。
ジュリアンの絶望がわかったらしく、フランクはおどけた顔のあと、改まった仕草でもう一度ビール瓶をもちあげ、乾杯をうながした。
「独立に」
ジュリアンも真顔で応じる。
「7月4日に」
曲が、終わった。
突然、まばらな拍手と喧騒が潮のように引き、かわりに虫の羽音のような低いざわめきが四方から湧きあがってくる。ジュリアンとフランクは身を乗り出し、空気が変わった階下を不審げに見下ろした。
そこでジュリアンは、見た。フロア脇の玄関ホールから、うつむいて、しかし姿勢よく歩いてくる女を。
髪をシニョンに結った女の頸は遠目にも、折れそうに細いのがわかる。女はフロアの中央で立ち止まり、おもむろに頭を上げた。
「歌手かな。余興にでも招んだ?」
そうではないだろう、と思うがジュリアンはフランクの言葉に答えない。女は──少女にもみまがうほどのひどく若い、その日本人の女は誰かに挨拶するかのように、ドレスを両手でわずかに持ち上げ、軽く膝を曲げると、ゆっくりとフロア全体を見渡した。
忍び笑いが白人の女たちのみならず、パンパンガールのあいだにも広がった。男たちは好奇心を隠そうともせず、煙草をくゆらせ、突然現れた奇妙な女客をぶしつけに眺めている。
時代遅れのフルレングスの夜会服、レースの手袋。しっかりした生地のドレスはワインレッドで、この季節にふさわしいとは言えない。
にもかかわらず、ジュリアンは確かに感じている。自分が触れている、この階段。黒大理石の荘厳なマントルピース。革靴やハイヒールシューズで踏みつくされた床。亡霊のようだった、そういったものすべてが突然、息づきはじめたのを。
完全なる調和!