小説

『拡散する希望』渋澤怜(『灰かぶり』)

 意外と若いしかわいいんですね。が、リフレインしている。いやあれは、おっさんだと思っていたアカウントの中身が若い女性で意外でしたという意味でしかない、に決まってるのに。
 むーちゅうっていうの横田さん? かわいくない? あーそれは、「ムービーに夢中」っていうブログがあって、それが略されて、で本人もむーちゅうさんって呼ばれるようになって、と、ポロシャツの彼が私のかわりに説明してくれている声がすこし遠くに聞こえる。むーちゅう、と口に出して言われるとこそばゆい、それは文字で読む言葉で、口に出して言う言葉じゃないのに、ましてや私を呼ぶ言葉じゃ。
 むーちゅうさんむーちゅうさんと連呼され私は心のこそばゆいところを何度もくすぐられ甘い汁でびしゃびしゃになってしまう。その後彼と少し映画の話をしたと思うが、彼が私のブログを本当に完全に読んでくれていることに感動し、まるで自分の分身に会ったみたいだった。最後にまだブログに書いていない最近のおすすめ映画を聞かれたので教え、しかしその半分は彼はもう観ていて、ひとしきりいいよねと言い合って、もう半分も観ますね、と言ってくれた。アオヒゲマンションはお化け屋敷だけど全然怖くなくて、でも私は別の意味でずっと心臓をばくばくさせていた。あまり記憶が無い。
 アオヒゲマンションから出るとそろそろパレードが終わるので戻りますと言われ、私達は別れた。岡本さんに後から聞いたけど向こうもゼミ合宿のついでに来たとかなんとかで、だからスポーツマンと映画好きが一緒にいたのかと納得した。岡本さんは「グループデートじゃなかった!」と安心していた。

 ハロウィンの渋谷なんて行くもんじゃないけどバイトだから行かないわけにはいかない。ヤケクソでザンスの着ぐるみを着ていくことにした。私は近くの人の反応は死ぬほど気にするくせに、知らない人の反応はまったく気にしないんだと思う。最寄り駅でも電車でも多少目立ったが、皆「あ、ハロウィンか」という感じあまり気にしていないように思う。
 渋谷は普段の土日を更に上回る勢いで混んでいた。そしてハロウィンの仮装っぷりもすさまじかった。岡本さんも言った通り、ザンスが全く目立たない。皆、昼から飲んで、酔っぱらって、ナンパや逆ナンが横行している。あの日から3日経つが、彼から特に連絡は無い。私は彼のアカウントどころか名前すらも知らない。岡本さん、冴木さんは会うたび「谷崎君経由で彼の連絡先聞こうか?」と言ってくれるけれど、用があるなら、向こうは私のアカウント知ってるんだから、DMでもしてくるだろう。それが無いってことは。それが無いってことは。
 やはり私は主人公にはなれないのだ。ガラスの靴は見つかったけれど。分かってる。待ってるだけじゃお姫様になれないことは。でも私はそもそもお姫様じゃないし。岡本さんは谷崎君と頻繁にLINEしているそうだ。もちろんあの日のうちにLINE IDを聞き出しているのだ。
 私が働くTSUBASA渋谷店略して渋ツバは、レンタルDVD・CDショップと本屋が合体した施設だ。映画の最新情報が手に入って社割もきくという、私にとってはそれこそグリムランドみたいな場所だが、今日のような殺人的に混む日はうらめしく思う。ごった返した店内を、倉庫を、這いずり回って、ほこりをかぶって、まるで灰かぶりの気分だ。だったら王子様来いよと思ってついつい何度もスマホを見てDMが来ていないか確認してしまう。来てない代わりに「ハロウィンのせいで殺人的に忙しい上にゾンビの客に『トリックオア釣りート』とかよく分かんない感じで釣り銭要求されてイライラする。働いてる側からすると別にハロウィンテンションでも何でもないしうちはタダのレンタル屋です無料でハロウィンテンション求めるのやめてほしい」とどうでもいいツイートをしてしまう。そこそこファボられる。そんなことを繰り返して何往復も何ツイートもする。何往復目か、スマホを見ながら暗い倉庫の中を駆けていたら、端に積まれていたDVDの山にぶつかってしまいグアシャアッと嫌な音がする。あーもう。
隣の休憩室の扉を開けてそこで休んでいた高校生のさゆりちゃんに
「ちょっとこれ直しておいてくれる?! 私レジ戻らないといけないから!」
と叫ぶ。

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