小説

『僕の恩返し』大森孝彦(『鶴の恩返し』『浦島太郎』『わらしべ長者』)

「いやいや、社長さん。お目が高い人だね」と手をもみもみ、胡麻をすりすり、ぺこぺこと低姿勢になった。「この亀はね、本当に良い亀だよ。幸せを運んでくれる。万年生きているからね」
 嘘を吐くな、という言葉を飲み込む。笑顔の仮面を被り続けるのだ。
「ついでに、もうひとつソフトをつけよう」
 少年たちは跳びはね、全身を使って喜びを表現した。そして、こんな事を言った。
「やったぜ! 藁が、こんなに良いものになった!」
「まだまだ! 次はもっとすごいものなるはずさ!」
 彼らは豪邸や財産を手にし、いつかわらしべ長者と巷間で噂されるようになるかもしれない。
 手を振って彼らの姿が消えるまで見送ってから、そそくさと海に入ろうとしている亀に、僕は言った。
「さて、竜宮城へ行こうじゃないか」
 すると亀は、のっそりと振り返った。
「坊ちゃん。それはおとぎ話でしょうや」
「そうかあ」と僕は頭を掻いて笑った。
「そうですぜ」と亀も笑った。
 お互いに声をあげて笑いながら、僕はいそいそと亀の背に腰かけた。
「現実の亀は喋れないでしょうが」
「これは一本とられましたな」と亀は言った。「いいでしょう。お連れしますよ」
 どんな神秘が働いているものか、亀の背にのり海に入っても、息苦しくもなければ、水圧も感じなかった。
 海の底には明かりがないものと思っていたが、たゆたう海藻はほの灯りをともし、優雅に泳ぐ魚たちも虹色に煌めき、むしろ地上よりも色彩に充ち溢れていた。
 亀に連れられてやって来た竜宮城は、絵にも描けない美しさであった。
 鯛や鮃が舞い踊り、海中だというのに、賑々しい演奏まで流されている。
 乙姫さまも可憐であった。鶴子さんという初恋の女性との出会いがなければ、きっと心を奪われていたであろう。
「いつまででも、ここにいてくださいましね」と乙姫さまは言った。
「いえ、そろそろお暇します」と僕は言った。
 乙姫さま及び海の生き物たちは、あの手この手で僕の道行きを阻まんとしてきた。けれど、僕の意思は固く、根競べに先に根を上げたのは、竜宮城の愉快な仲間たちの方であった。
「そこまで意思が固いというのなら、お引止めいたしますまい」と、僕に黒塗りの箱を差し出しながら言った。「これを、お持ち帰りくださいませ」

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