小説

『名前って、ふたつ以上の鐘の音』入江巽(『ラムネ氏のこと』坂口安吾『赤と黒』スタンダール)

 意味がよくわからなかったジュリアンの頭の中にも、ジェット風船はピューと吹き抜け、「男と女がややこしいことになる」という言葉がギラギラと胸に残るようで、よくわからいながら興奮し、俺の本当の苗字、恥ずかしいんやなア、と思い、悲しくなった。

 それからというもの、ジュリアンは、ひとの名前や苗字というものを人一倍、気をつけて眺めながら大きくなった。平野の学校をそのまま中学、高校と進むうち、いれかわる友達のなかには、なるほど、たしかにおもしろい名前の人がいる。けれどどのひとの苗字や名前の悩みも、自分の悩みとはすこし性質が違うような気がするのだった。もとからそう明るいほうではなかったジュリアンは、中学、高校と進むにつれてより憂鬱な顔になり、高校のころは学校も休みがちになった。
 びりに近い成績で高校を出て、それでももともとの頭脳はそう悪くなかったので、ジュリアンは、関西学院大学に進んだ。漠然と、哲学ならやってみたいと思い専攻してみたが、入学して二年たったいまは、講義にあまり出ず、かといって遊びまわっているというわけでもない、ぼんやりした日々を送っていた。そして、ジュリアンは、大学に入る時、大学と交渉して、学生証の名前を、まだ「田中ジュリアン」として登録してもらっていた。学生課で相談したとき、自分の戸籍上の名前を言うと、年配の女性職員が笑いをこらえていたことがジュリアンの気持ちを深く傷つけた。裁判所で姓を正式に変えることを一時期は本気で考え、かなり調べもしたのだが、いざ本当にやろうとすると、三歳で死に別れた父をどこかで恋う気持ちがあり、なかなか思い切ることができなかった。
 コンドームがどのように使われるものか、いまでは正確に理解していた。高校生のころ、つける練習もしてみた。大きくなったところでかぶせてみるのだが、「コンドームがコンドームつけてる」、という内なる声がジュリアンの脳に響く。ジュリアンは、高校のころ、母の本棚にあった太宰治の「トカトントン」という小説を読んだ。なにかを成し遂げようとする手前にくるたび、虚無の音が「トカトントン」と響くというその小説は、ジュリアンのこころにいたく染みた。だが、ぼくの頭に響く「トカトントン」は「コンドーム」という音、と思うと、トカトントンという何気ない言葉も気取ったものに見え、腹がたった。
 恋なく、友もあまりないジュリアンは、切実に悩みを話す友達が欲しかった。大学二年の終わりかけ、ある冬の寒い日に、関西学院のチャペルの前、友達というほどではない同じ学科の知り合いとすこし話していたら、ひとりの男がやってきた。なんとなくしゃべるうち、その知り合いは、その男をからかうように見ながらこう言った。「こいつの名前、えげつないねんで。小俣達雄って言うんや。」
 まったく笑わないジュリアンをしらけた目でその知り合いはみて、ほんとになに考えとるかわからん奴やナア、と思ったが、ジュリアンのほうの頭は、電流が走ったようにシビレていた。おまたたつお。おまたたつおくん言うんかきみ。同志よ、友達になろう。ジュリアンは、本当にそう思った。
 ひさしぶりにジュリアンは能動的になった。だが、三か月の間に急速に仲良くなり、「オマチン」と呼べるようになった小俣達雄といると、ジュリアンは、自分がとても卑怯な気がした。小俣達雄くんは快活でハンサム、自分の名前をさらしたまま堂々と生きている。ドラムもうまい。ときにひとのまえで名前の道化になることもする。いつか言おう、そう思ったまま三か月が過ぎてしまい、ぼくら実は仲間なんや、勝手にジュリアンは胸を熱くし、これが友情か、と感動したり悩んだりしては、ふいに大学のなかを走りだしたりして悶えていた。

1 2 3 4 5 6