鈴ちゃんは私より学年がふたつ上だったけども私の家の近所には適当遊び相手がいなかったからか私とよく遊んでくれた。
私たちは実の姉妹の様に仲良くなった。
おそらく多分実の姉妹よりも。
あるいは実の姉妹じゃなかったから。
鈴ちゃんには私と同じ年に生まれた妹がいた事を知ったのはずっと後の事だ。
その子は生まれて直ぐ何やらとても難しい名前の病気で亡くなったのだと母から聞いた。
鈴ちゃんの家に行くのは当然いつも昼間だから鈴ちゃんのお母さんは牛の世話が忙しくてゆっくり話をした事もあまり無かったのだけどある日のこと気づくと鈴ちゃんのお母さんからジッとりした視線で見つめられて妙にドギマギした事があった。
あの時は鈴ちゃんのお母さんの視線の意味が判らなかった。
私には逆に歳の離れた兄が一人いたけど私が三歳の時に近くの川で溺れて死んだ。
正直言えば私には兄の記憶は薄っすらとしたものしか無くてもし誰かが「それは幻だよ」と言えば私はそれを受け入れてしまうと思う。
だから他に兄弟の無い二人はともに実質的な一人っ子で刹那な偽姉妹関係を続けたのは二人の間の何処かに潜んでいた自分ではどうする事も出来ない寂しさを紛らわそうとする為のものだったのかもしれない。
また例の少し間抜けた電子音が鳴った。
ベルト着用のサインが消えると同時にCAの「ベルト着用のサインは消えましたが」というお決まりアナウンスが始まった
「こんなセリフも言ったっけ、鈴ちゃん」
二人がともに小学生だった頃にその頃流行っていた航空会社の客室乗務員を描いたテレビドラマの影響で“チュワーデスさんごっこ”を鈴ちゃんとよくやった。
いつも鈴ちゃんがスチュワーデスさんの役だったっけ。
そう、鈴ちゃんはいつもぶかぶかの赤い帽子を被っていたよね。
あの赤い帽子は鈴ちゃんのお母さんが結婚するまでしていたバスガイドの制帽で、だからあの帽子は貸与品のはずだったのに何故だかお母さんは仕事を辞めた時に貰って来ちゃったんだよね。
“スチュワーデスさんごっこ”が終わった後いつも鈴ちゃんは決まってあの赤い帽子を脱ぎ小脇に抱え「大人になったら私は本物のスチュワーデスさんになる」と言っていた姿はとても凛としてカッコよく何かの戦隊モノの女の子ヒーローみたいだった。
そしてとちょっとついでの様にではあったけど「あなたも一緒にスチュワーデスさんになろう」と言って、あの赤い帽子を被せてくれた。気が向いた時はね。
いけない。紙コップを忘れてたよ。
紙コップも大切な小道具だったよね。