小説

『バーチャル老師』津田康記【「20」にまつわる物語】

 じゃあ、やりすぎたら危険なのかよと遊助の胸の奥に不安がじわりと広がっていく。金までもらえるなんて、やはり裏があったのかと今更ながらに後悔をし始める。
「では、行くぞ」
「どこにですか?」
「先ほどの会社にじゃ」
「いや、そんなの無理に……ひっ!」
 老師が杖を構えると、反射的に遊助は防御の姿勢をとってしまった。いくら幻覚みたいなものはいえ、痛みは痛みだし、生命の危機もありそうだ。判断を誤ったと思いながらも、遊助は生きるために老師の後をついて歩き出した。

 疲れた体を引きずりながら会社に戻ってきたのは20時を過ぎたころだった。他の皆が帰り支度をしている中、遊助は自分のPCで契約書の作成を始める。疲労困憊していたものの、充実感が体を満たしていた。
 先ほどの激しく拒否された企業から契約をもらっただけでなく、他の飛び込み先で仕事に繋がったからだった。
 こんな充足感はいつ以来だろうか、俺は勝手に自分で限界を決めて逃げていたのかもなと遊助は思い始める。少なくとも大学受験までは遊助は努力を惜しまない人間だった。正解のある勉強はやったらやっただけ結果に繋がり、とても楽しく手応えがあった。しかし、大学生活や社会の中では努力が必ずしも結果に繋がるわけではない。早々にその現実に打ちのめされた遊助は、次第に努力をするよりもいかに楽をして生きるべきかばかり考えるようになっていた。
「やればできると言っただろ」
 作業に没頭している遊助の肩にポンと優しく手が置かれる。
「老師」
 肩に感じる温もりのせいだったのだろうか。遊助の胸は熱くなり、自分でも気づかぬうちに瞳を潤ませながらキーボードを叩いていくのだった。

 それからあっという間に10日間が過ぎた。バーチャル老師のおかげで遊助は劇的に努力する人間に変化した、かといえばそうでもない。
 始めのうちは努力と気合いでなんとか結果を出していたが、それだけで上手くいくものではない。良かったのは初日ぐらいで、すぐに営業成績は伸び悩み、それと反比例するように老師の叱責は熾烈なものへと変化していった。
 毎日ガミガミ言われ、暴力まで振るわれて、しかも成果が伴わないことほど辛いことはない。我慢に我慢を重ねて真面目にやってきた分だけ、遊助のサボりたい欲求は大きく膨れ上がっていった。

 そして、20日目のテスト期間最終日。外回りに出でから、まっすぐにお気に入りのサボりスポットである公園へ向かうとベンチにどっしりと座り込んだ。

1 2 3 4 5 6 7