小説

『ネームバリュー』竹内知恵【「20」にまつわる物語】

 と一蹴された。さらに食い付いたが、母親を怒らせることしかできず、家で名前の話をすることはできなくなってしまった。
 自分の家ではともかく、しばらく学校で川村千寿は周りから同情されていた。ようやく新しく何かのブームが始まり姓名判断のブームが去ると、彼女の名前は注目を失った。
 そして川村千寿の心の中に『総画数20画は凶』という澱が生まれた。

 澱というものは、普段は底に沈んでいても、ちょっとした波風で舞い上がることがある。
 例えば、川村千寿が中学生時代のことだ。彼女がちょっとした面倒に巻き込まれると、小学校時代の友だちに「総画数20画だもんねぇー」と半ばからかわれるような言葉を掛けられることがあった。そのたびに「そんなの関係ないよ」と口にしながらも、決してきっぱりと断言できなかった。自分の名前を否定するような気がしたのだ。
 しかし高校、大学生時代になると、もうすっかり自分の持ちネタにしてしまっていた。「私って名前の総画20画だから、運悪いんだよねー」などと自分自身を納得させるように言う始末。テストで山が外れたときや学食で食べたいメニューが売切れていたとき、果てには、通学中の急な通り雨に遭ったときなどにも、気軽に使われた。そんな風にして気軽に言いすぎた結果、『総画数20画は凶』は、すっかり川村千寿をがんじがらめにしてしまっていた。 

 さすがに社会人である現在は、姓名判断云々よりも現実的な災いやどうにもならない不幸な話を耳にする機会もある。自身の姓名判断結果を不幸自慢のように口に出したりはしなくなっていたが、小学生時代に沈殿し始めた澱は、どんどんとその濃度を増していた。小さなトラブルに見舞われるたびに、『総画数20画は凶』だからと諦めるのが恒常化していた。

 そんなわけで、川村千寿がコンビニエンスストアですっ転んでいる今、自分の名前が持つ運の悪さついて諦念に至っているのも当然なのだ。
(ここのコンビニ、昼休みにうちの会社の人も結構買い物に来るんだよなぁ。あぁ、もう最低! 絶対に誰かに見られてるよ)
 フルスピードで働く頭にそんな考えが浮かぶ。果たして彼女の考え通り、完全に尻もちを着く前に、一人の男性の姿が彼女の目に入った。同じ部署の後輩だった。
(小沢くん…?)
 自分の惨状を目の当たりにした小沢の大きく見開いた目を見た瞬間、一気に気落ちした川村千寿だったが、半面、昨日の飲み会での小沢の言葉を思い出していた。

 小沢は川村千寿の所属する部署に今年入った新入社員だ。その彼の歓迎会の席で、川村千寿は久しぶりに自分の名前の話をした。場を持たせるために話したのだが、小沢の反応は、彼女に強い印象を残した。
「えー? 姓名判断? 川村さん、信じてるんですかぁ?

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