つぶやきはやがて歌になって、風子の世界に僕はまた魅せられる。
あなたのことを考える。
あなたのことを知りたいと思う。
小さな思いの一枚一枚があなたを映す葡萄の葉になった。
散り落ちてからようやく枝は、自分の身軽さと、失くしたものの美しさを知る。
だから言うね、あなたを忘れない。
「20」
歌い終えると、風子はこの場所で20回目のおならをして、消えてしまった。
同じ場所に居られないというのは、なにか掟のようなものだったのだろうか。
それが風子の姿を見た最後だった。
寄席の仕事を休み、部屋に引き籠ったままの僕を心配した兄弟子が、見舞いがわりに届けてくれたのは、先代の師匠が残したというカセットテープだった。
その音源の中に「ふーけつのひと」という噺があった。先代師匠が故郷の民話を題材に作り上げたネタだ。
先代師匠の故郷は飛騨の山あいにあった。越中の立山、加賀の白山、木曽の御嶽山と、三つの霊山に囲まれた位置にあって、昔からこの地域には風穴の伝説があったという。
江戸時代にオランダから伝わった風穴研究の書物によると、世界には約20箇所の風穴があって、地球の内部からの熱を放出して、爆発や気温の上昇を防いでいるのだという。
それらの風穴は神域とされていることが多くて、代々の守人にしか場所を特定することができないらしい。
ただ、研究者の中でもそんな話は伝説や民話にすぎないと否定的な意見は多くて、その真偽は不明だけれど、日本国内では飛騨地方にだけ確かな伝承がある。
守人は世襲というわけではなく、若い村娘の中から、数十年にひとり、自然に生まれてくる「風通しの良い者」が選ばれるといい、これまで公になったことはない。
先代師匠は晩年、その娘に会ったことがあると話していた。ときには怪談めかして、ときには恋物語として、高座にその噺をかけては観客を喜ばせていた。
ふーけつのひとは、同じ場所に留まることはできない。同じ場所で20回の風を吐き出したなら、その場所そのものが風穴となって自分や周囲のものを吸い取ってしまうからだ。