軽やかに波打つ右手。響き聞かせる高音は透き通って綺麗だが、旋律は迷うように行ったり来たり。
あちらの? こちらなの?
眼が見開かない僕の手を引っ張りながら、音色が一緒になって探してくれている。
でも僕とは反対に、不安げではなくて悪戯下の感触だった。
「で? どうなの?」
彼女が振り返る様に訊いてきた。
目の前で見せられる技術の高い演奏、今まで聴いた事がない高質な音。
すっかりそれに魅了され上の空だった僕は、我に返ったように慌てていた。
「えっ……いや……好きだからじゃないかなって……」
「なにが? 店長が?」
「いや、そういう気は全くないです」
その答えに彼女は大きく口を上げて笑っていた。ほんの僅かに旋律が乱れた感じになる。
「そういう意味じゃないっすって。真に受けた答えは止めて下さいな~」
そう彼女に言われて恥ずかしくなった。慌てて答えて、どう見ても年下の彼女に敬語気味に言った事も。
そんな事は気にしない。
そう言いたげな彼女の雰囲気は変わらず、そして演奏も止まらない。
「店長は人柄良いですもんね~。好きって表現、私は分かりますよ~」と微笑み気味に彼女は言った。
その微笑みが、まるで鍵盤へと映り込ませるように彼女の顔が俯く。
交互し、旋律のピッチも上げて行く。紅潮しそうな僕の顔色を反映させて。
テンションの高い複雑な旋律。
長調と短調の絡み合い。緊張が高揚なのか、それとも硬直なのか。
今の僕の心境を現す、どっちつかずの音色。
彼女に言われ思い知らされたか。
いや、気付かされたと言うべきなんだと。
本当は何かを期待しているんだと。待っているんだと。
何も思わず、この店の扉を開けていない。何時も期待して開けているんだと。
繰り返されるコードは、僕が店に入る一歩を踏み出すための背景音、そのものだった。
「何か想っているんですよね?」
目を瞑り、自分の出す音に酔いしれている彼女は、顔を天井へと向けながら訊いてきていた。
的を得ていたから、そういう訳じゃない。でも彼女の問いに僕は、うっと言葉に詰まって何も返さずにいた。
「店長ってホント良い人ですもんね。周りいる人もそう。このお店に来る人もそう。みんな引き寄せられるように来ますもんね。そう思いません?」