小説

『にじゅうのうた』洗い熊Q【「20」にまつわる物語】

 言い回し、感触。逢った事があるという感じではない。やっぱり初めてなのか? 疑問に思って発しようと思った言葉。
 口から出ようとした瞬間だ――それは彼女の出した音色によって遮られていた。

 僕は音楽には詳しくはない。人並み程度。それ位だと思う。
 ただ彼女が出した音色。それを上手く表現するなら。
 ――ラヴェルのピアノ協奏曲ト長調の冒頭。パーンと鞭が叩かれる音。引っぱたかれて覚まされる様な感覚。
 でも今は逆に、その夢現の中に一気に引きずり込まれると思った。

 鍵盤中央、右手は低めから上がっては戻り繰り返す旋律を。低い音を叩き上げる左手伴奏は短いリズムを刻んでいた。
 クラシックな曲じゃない。最初の印象通りジャズぽいっ感じだった。
 不安で暗い立ち上がり。その暗闇が徐々に明るみが差してくる、少しずつ消えてゆく。
 太陽が昇ってくる。光を身体に感じる。
 そう思った時、リズムが歩きだした。
 旋律と伴奏音が不均衡に混じり合って、軽妙で軽快に。太陽が昇ってきた方向への一歩を踏み出して流れ始めていた。
 早めの鼓動の様なリズムに。メロディは軽やかに。それが一定の歩みになると、気分良く続く。
 彼女は肩を軽快に揺らしながら、僕の方をチラリと見た。
「いつも此処には何しに来るんですか~?」と彼女は演奏を続けながら、声を多少上げて訊いてきた。
「え……別に何もするも……」
「は~? 聞こえないです~」
「いや、別に何もないですよー! ただ珈琲を飲みに来るくらいでー」
 思わず声の音量を上げていた。聞こえないと言われて、無意識にムッとしたからだと思う。
 その様子に彼女はクスリと微笑む顔になり、今度は頭もリズム良く左右に振り始めていた。
「それホントですか~? 何かあるから来るんですよね~?」
「いや……本当に何もないというか……」
 答えに困り果てる僕。その様子に彼女は更にクスクスと微笑み始めているように見えた。
「恥ずかしがらないで下さいよ~。今、話を聞いてるのは私と、このピアノぐらいですから~」
 そう言った彼女。前のめりで、ぐっと腕に、そして指に、込めた力を鍵盤へと押し込む。
「周りなんて気にしない。耳を傾けて。心を振り向かせ見せて。そしてその眼で音を掴まえてみるのよ」

 叩きつけた音が地面から反響するように、左手の伴奏音は不安な音色を几帳面に奏でている。

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