小説

『カサジゾウ、的な何か』柿ノ木コジロー(『笠地蔵』)

 いったん口から出た悪態は、引っ込めようがありません。
「一度も帰って来ねえヤツに、何が判る、ふざけんな、くそったれめ」
 雀どもがわっと飛び去り、たまたま近くを通りかかった親子づれが、ちらりとじいさんを見てから、あわてて離れていきました。

 じいさんは、ふと腕の時計をみて気づきました。
 最終バスは、駅発十五時四十二分です。
 今から駅まで戻らねば、今日のうちには帰れません。

 じいさんは、ばらして足もとに並べていた笠をひとつひとつ拾い上げ、また元通りに束ねてよっこらしょ、と背負いました。
 掛け声も要らぬほどの軽さではありましたが、掛け声がなければ、多分帰れそうもありませんでした。
 急に腹が減っていたのに気づきました。
 昼飯に、とばあさんが支度してくれていた包みを開くと、そこには思った通り、味噌のぶ厚く塗られた焼きむすびが三つ、入っておりました。
 すっかりひしゃげてはいたものの、じいさんはがつがつと頬張って、
「んまい」
 声に出してみました。最後のむすびがか細い声で言いました。

「はしっこだけ、残しておくれ」

 すでに炊かれて焼かれてすり減ったであろう命でも、惜しいのだろうか、とじいさんは最後の一かけらを口に投げ込もうとして、やはりやめておきました。
 かけらを丁寧に包み直し、また腰に下げてから、じいさんは手をこすり合わせながら、ただ黙って駅前のバス停に向かって歩いて行きました。

 じいさんは、帰りのバスには、黙って乗り込みました。
 運転手は、行きと同じ男だった気もしました。あれじいさん、笠が全部残っているね、という目で見られるのはしゃくでしたので、じいさんは運転手の死角になりそうな席をわざわざ選んで静かに座りました。
 選んで座れるくらい、車は空いておりました。他に乗っているのは、この年の暮れに用事があるのやらどうやらという目をした中高年の数人、それとどうしてこんなバスに乗っているのかといった中学生らしい二人の少年だけでした。
 少年たちは、いかにもはしゃいだ様子で声高に何かを語りあっておりました。どうも、駅近くの映画館でずっと楽しみにしていた映画をみてきたようでした。

 ああ、ばあさんに、何と言ってやればいいのだろう。

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