「商談の方は上手くいったみたいね。その顔を見れば分かるわ」と母は顔を離れ際にそう言った。
「ああ。隣国の方は話の分かる人だったから……香料の貿易に関して色好い返事を貰えたよ」
「そう。忙しくなりそうね」
「だから、また此処を直ぐに発たないといけない。船の手配が付き次第……」
そう私が言い掛けた時、母の背後の部屋から女性が姿を見せた。
先程、海岸で舞っていた女性だ。
彼女は恭しく、無言で挨拶をしていた。
「でも、式を挙げるまでは留まるのでしょ?」と母は女性を気にも止めずに訊いてきていた。
「……ああ。その為に戻ってきたんだから」
私は素っ気ない答えを母に返すと、彼女の横を通り過ぎて部屋の奥へと向かった。
――自分でも酷い男だと思う。妻となる女に何も挨拶もせず。
いや、情けないのか。
顔を直視できなかった。従順な表情に笑顔の微塵も見せない彼女を。
または、先程の舞いを見たせいかも知れない。
屋敷の奥まで行こうとし、急に思い出した事があった。その為に私は入ろうとして切り返した。
「母さん、ごめん。先に兄さんの所に報告しに行くよ。貿易の話、早く伝えなくてはいけない」
男が妻を選ぶ権利を会得するには家柄である。
女が妻となる条件は血族。後は夫となる側に気に入られるか。
つまりは女側には選ぶ権利が存在しないのだ。
私は兄が住む屋敷へと先を急いでいた。
兄は父の仕事を受け継いだ。父が亡くなって直ぐに。そんな兄を手伝う為に、私は隣国を旅して廻っている。
恐れていた父はもう居ない。それならばこんな国を捨ててしまっても構わなかった筈だが、早々に離れられない事情がある。心情がある。
兄も、そして母も。
私がこの故郷を捨てても理解もしてくれよう、認めてくれように。
それを踏み切れない訳も、その二人にあるのだが。
「よう、帰って来ていたのか? 久し振りだな」