先を急ぐ事情がある為、私は先行して向かう。妻は後から兄達と共に来る予定になっていた。
――しかし妻が追って来ても、向こうでは私は待っていない。
私は母と改めて向き合って言った。
「……母さん、ごめん。色々と迷惑を掛ける事になって」
その言葉に母は首を振って答えていた。
「いいのよ。何も気兼ねすることなんてないの。貴方のやりたい様にすれば良い。それは私の願いでもあって、お兄さんもそれを思ってくれているわ」
母は優しく微笑んでくれていた。
「……今度帰ってくる時は、ちゃんとした相手を連れて帰ってくるよ」
「そう。期待しておくわ」
私は母と力強く抱き合うと、振り返る事なく艀の上へと乗りこんだ。
艀はゆっくりと私が乗船する船へと向かった。
その途上、またあの海岸前を通り過ぎる。私はゆっくりと過ぎて行く浜辺をしみじみと見つめていた。
「しかし、あんた変わっているね?」
そう言ったのは艀の船頭だった。
「何がだい?」
「こう堂々と密航をするなんて、度胸があるんだか馬鹿なんだか……」
「誰も聞いてないからって、それは言わないでおくれよ。意外と私は緊張しているんだから、今は」
「そうかい、そうかい」
船頭は笑っていた。
乗りこむ船には顔見知りが多い。事情を言えば済む、気心しれた船長もいる。私一人なら密航しても問題なかろう。
誰も疑いの目を向けない。こう明るい内に堂々と乗りこんで行くのだから。
私が正式に手続きした手形は、あのどら息子の妻が使用して先日には、もう船は発っている。一応、用心の為に同乗者にも頼んでおいたが。
そして私の妻は、後から兄と共に堂々と出国する。
誰も不審がらないだろう。夫を追って妻が船出するのは。帰ってこないと分かると、それはそれで面倒になるが。
もうその時にはどうしようもできないだろう。咎めされど、罰した所で意味の無い事だから。
――同性の愛。二人は近隣での生活で我慢を決め込んでいたのだろうか。愛してもいない男と同居する中で。
近隣の国でも余り受け入れがたい愛。しかし、この国以外ならば寛容ではある。女二人だけの生活は気苦労が多かろうが、幸福になれる好機もあろう。
私は元妻が、そして母が舞っていた白い海岸を眺める。
結局、母には訊く事は出来なかった。
あの舞いの意味を。想いを。
母も彼女と同じく、誰かに向けてだったのか。
今更に訊いた事で、何の慰めにも解決にもならない事は分かってはいるが。
――相手は、あれ程までの壮美な舞いが自身に向けられたのだと知らないだろう。
また、私が母を咎めないのは。
あの舞いが一つの決意の現れだとも感じるからだ。
突如に現れた、血の繋がりもない不憫な子供二人を育てようとの。
そうでなければ母の舞いにこれ程まで、慈愛と哀傷なんて感じないのだろうから。