小説

『薔薇のことば』三角重雄(『聞き耳頭巾』)

 立山連峰は威風堂々たる存在感で、「存在すること」を教えてくれる気がする。
「山は…、霊格が高いからね。そう簡単には語らないよ」
 ヒヨドリが教えながら飛んでいった。
(山の霊格か…)
 和人は十一年前を思い出した。和人は四十四歳、百合子は十歳だった。二月中旬の日曜日、二人で雨晴海岸に行ったのだ。
 その時和人はTM高校に勤務していた。心に何か重い塊を感じてはいたが、生徒の優しさに癒されていた。ほぼやりたいように授業もできていた。
「馬並めていざ打ち行かな渋谿の清き磯廻に寄する波見に」
 と詠じ、家持を語り、その二二〇余首の母体は、越中の豊かな自然だったと伝え…
 絶景の立山連峰に出会える日は、一年のうち、そう何度もない。気象的には十一月から三月が最適だ。しかし、冬場は晴の日が少ない。
 パノラマ的には雨晴海岸が最高だ。雨晴海岸は白砂青松、日本海では珍しい遠浅の海である。近景に女岩。左の海に浮かでいる。右には義経の雨はらし岩。右の松の木の下だ。奥に広がる白き偉大な屏風、立山連峰!
 何という存在感。遠景中央に剱岳…
 雨晴海岸から立山連峰を見ることは、海抜0mから三千mの連峰を眺めるということである。本邦唯一、壮観随一の勝景だ。
 その立山連峰が、あった。車から降りて、和人と百合子は息を止めた。
 青空を背景とした、富山湾越しの雪の立山連峰…
 和人と百合子は、ため息をついて顔を見合わせた。
 あの日の記憶が甦ったのだ。確かにその時も、山は語らなかった。
 いや、語った。雄弁に。沈黙という言葉で。
(生きればいいのだ。在ればいい。ただ、命はそれぞれのいのちで在ればいいのだ)
 その言葉はあった。あの時の和人が受け取れなかっただけだ。今なら、感謝で受け止められる。和人は、あの日の思い出を胸に、ベランダから立山連峰の彼方の青空を眺めた。
「それでいい」 
 と、風が通りすぎていった。      
 みんなが勧めてくれたことを和人は反芻していた。それは、この本当の耳を大切にすることだった。
 そこで和人は…、帰宅した妻には黙っていた。それは、妻からの日々の圧迫に対する、密かな、甘い復讐であった。
 復讐と言っても決して裏切りではなく、仕返しでさえない。ただ単に秘密を大事にすることだ。

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