小説

『インドの観覧車』緋川小夏(『赤い靴』)

それを見た瞬間、わたしに残っていたわずかな理性が大きな音を立てて崩壊した。
 パニックに陥ったわたしはキッチンに入り、震える手で冷蔵庫の扉を開けた。とりあえず一番手前にあった缶ビールを取り出して、人差し指でプルトップを引く。プシュッと軽快な音がして、ビール特有の香ばしい香りが立ちのぼる。
 早く、早く、遊園地を稼働させなければ。わたしの心が辛い現実を目のあたりにして、また壊れてしまう。そうなる前にお酒を飲んで、一秒でも早く遊園地に逃げ込もう。わたしの中の、わたしだけの遊園地に。
 わたしは三年ぶりに、アルコールを一気に喉の奥に流し込んだ。
「はあっ……」
 体がふわりと軽くなって、大きなため息が漏れる。けれども痺れるような多幸感は、ほんの一瞬だった。すぐにわたしは気分が悪くなって、その場にうずくまった。
 抗酒剤を服用した上での飲酒。話には聞いていたけれど、実際に体に起きた反応は凄まじいものだった。
 飲んで数分すると、みるみるうちに肌が赤くなった。そして頭が割れてしまうと思うくらいの酷い頭痛。大きな岩が頭の中で暴れている。目の奥で火花が散る。とにかく脳が破裂しそうで何も考えられない。
 心臓が頭の痛みとリンクしながら大きく脈打つ。強烈な船酔いのように胃が収縮を繰り返す。体中の細胞が、お酒を飲んでしまった罰だと言わんばかりに、わたしを痛めつける。
 ごめんなさい
 ごめんなさい
 わたしは泣きながら必死に叫んだ。
 誰に向かって謝っていたのか、自分でもわからない。雅彦さんに、部屋に勝手に上がり込んだことを謝罪していたのか、新しい奥さんに詫びていたのか。いつも見守ってくれている母に、お酒を飲んでしまったことを謝っていたのか。それとも亮悟への懺悔だったのか。
 ごめんなさい
 やがて人の気配がして、わたしは意識を失った。

「小麦……こむぎ」
 目を覚ましたわたしの視界に映ったのは、白く無機質な壁と天井だった。
「お母さん……ここはどこ?」
「病院。あんた雅彦さんのマンションでお酒飲んで具合が悪くなって、救急車で運ばれたのよ」
「わたし、お酒飲んじゃったんだ……」
 右腕に刺さった針の先には点滴スタンドがある。吊るされた薬剤の入った袋からは透明な液体が、ぽたりぽたりと規則正しく落ちているのが見えた。

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