小説

『SFA‐20 ~立ち枯れた脳~』 蟻目柊司【「20」にまつわる物語】(『ピノッキオの冒険』)

 いっそのこと壊してくれ。俺は、もう疲れ果てた。久美子にもう一度会うまでは死ねないと思って耐えてきたが、考えてみればもはや会えるはずもない。
 俺は壊れかけのアンドロイド。もう人間には戻れない。

 久美子は今どうしているのだろう。
 最後に会ったのは、二十年前。それは俺の二十歳の誕生日だった。
 あの日、久美子は俺にプレゼントをくれた。
「脳のデジタル化?」
「そうよ。いま流行ってるじゃない? こないだうちの弟もやったの。物忘れもしないし、計算も早くなったって喜んでるわ」
 久美子はブレイン・エミュレーション・サービスのカタログを取り出して、カフェのテーブルに広げた。脳のすべての構造をハードディスクにコピーし、それを頭部に移植する。オプションで記憶領域を拡大したり、通信機能を備え付けることもできるらしい。
「でも俺たち、無理に頭を良くする必要もないだろ。働かないんだし」
 ウェイターがコーヒーを運んできた。当然、アンドロイドだ。この数年のうちに、ほぼ全ての人間がロボットに仕事を奪われ、日本の失業率は九十八パーセントを超えた。既存の経済は事実上破綻したと言える。しかし、誰ひとりとして貧困状態には陥らなかった。
「でもさ、悠介は本読むの好きでしょ? デジ脳にテキストデータをダウンロードすれば、一瞬で長編小説が読めるんだよ」
 このカフェのメニューに記されているのは、日本円ではない。180RP、これがコーヒーの価格だ。
「本が一瞬で読めたら、暇つぶしにならないだろ。とにかく時間があり余ってるっていうのに」
 インフレが驚異的な勢いで進み、紙幣が紙くず同然の価値にまで落ちた時、政府はレーション・ポイントという新システムを打ち出した。毎月三十万ポイントが全国民に付与され、それで政府や委託企業の提供するあらゆる商品と交換できる。ひと月に三十万ポイントあれば生活にはまったく困らないが、付与されてから四十日が経過したポイントは失効する。つまりレーション・ポイントとは、大衆による資源の過剰な濫用を防ぐための単なるリミッターという意味合いが強く、私有財産として貯蓄するといったことはできないようになっている。
「トゥルーVRも興味ない? デジ脳に知覚情報を直接送り込んで色んな体験ができるって。現実と区別が全然つかないらしいよ」
 国民に商品やサービスを提供したのは、人工知能を積んだ機械達だ。
「ああ、最近はトゥルーVRコンテンツもすごいのがあるらしいな。深海探検とか、宇宙遊泳とか」

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