小説

『過ぎし日の想い』紫水晶【「20」にまつわる物語】

「なんか瑠璃先生、いっつもアイツの側にいるよね。名前が同じだから? これって、ヒイキって言うんでしょ?」
 ユリアの陰口が聞こえる。彼女は言わば、我がクラスの女帝である。頭の回転が速く、口論では彼女の右に出るものはいない。かく言う私も、幾度か論破されかかったことがある。無論、園長先生には内緒だが。
「なぁに? ユリアちゃん。言いたい事があるんなら、ハッキリ言いなさい」
「ううん。何でもない。行こう、みんな」
 ホールに駆けていく女児たちの背中から、クスクス笑いが響いてくる。
「ハッキリ言いなさいだって。先生だって、美鈴先生にハッキリ言えないじゃんねー」
「ねー!」
 頭から、もの凄い勢いで血の気が引いていくのを感じた。耳の奥がぼうっとなる。
 彼女たちは知ってるんだ。私がいつも、美鈴先生に「今日の当番代わって」とお願いされて断れずにいる事を。
 美鈴先生は、何かにつけて、私に嫌な仕事を押し付けてくる。延長保育当番、行事担当、倉庫の片付け、その他諸々の雑用……。そのくせ、園長先生の前では『私がやりました』風の顔で澄ましている。
 まさか、子どもたちに見透かされていたなんて……。
 恥ずかしさと悔しさで、唇を噛み締めながら下を向くと、ルリと目が合った。
 ルリは、微動だにせず私をじっと見上げている。まるで、私を憐れむようなその瞳を見ているうちに、胸の奥から熱いものが込み上げてきた。
「ごめん。ちょっと付き合って」
 私はルリの手を引くと、素早く物置の中に身体を滑り込ませた。入り口の戸を閉めた途端、堪え切れず、私はその場にうずくまった。
「ごめんね。ごめんね」
 とめどなく流れる涙が、私の真新しいピンクのエプロンに、染みを作っていく。
「もう無理。辞めたい……。向いてないよ……。保育士なんて、なるんじゃなかった……」
 ずっと胸につかえていた言葉を吐き出し、深呼吸を一つしたところで、ふと、ルリの存在を思い出した。
 急に恥ずかしくなった私は、涙を拭って顔を上げた。
 そこには、無表情のルリの白い顔があった。ルリは、何も言わず、物音一つ立てず、じっとそこに立ち尽くしていた。澄んだ瞳だけが、全てを見透かしたように、薄暗闇の中で光っていた。
「ごめんね。ルリちゃん。付き合ってくれてありがとう」
 私はルリの手を握り、ゆっくり立ち上がった。
「この事、二人だけの秘密ね」
 人差し指を口に当て、目配せすると、私は入口の戸に手を掛けた。
「……いで……」
「えっ?」

1 2 3 4 5 6 7