小説

『20時20分のこと』室市雅則【「20」にまつわる物語】

 数日が経った後、男はまた一つ気が付いた。
 女性の足音は雨戸に手を掛けたと同時に聞こえ始めるのだ。それまでは遠くに車のエンジン音が聞こえるくらいの静けさであるのだが、手を掛けたのがまるで合図のように聞こえ始め、雨戸を閉めると進行方向へと向かって消えて行く。
 女性の顔を確かめてやろうと何度か雨戸を閉めずに夜空を眺めているふりをして、彼女が現れるのを待ち受けていたのだが、例の時間にも、そして、時間を過ぎても一向に姿を現さなかった。
 これが一度であれば、タイミングが合わなかっただけだろうと納得が出来るが、男が待ち受ける日に限って現れない。だが、『20時20 分』に雨戸を閉めると必ず現れる。
 別の日には雨戸を閉めるふりをしたこともあった。
 戸に手を掛ける。すると足を音が聞こえ始めた。いつものように戸を引くのだが、閉まる瞬間に押し戻して、窓から外を覗いた。間違いなく彼女の顔が拝めるはずだった。
 だが、忽然と姿を消していた。煙のように。
 いずれにしても奇妙であったが、楽しみも何もない男にとっては、謎を解明するよりも『20時20分』に雨戸を閉め、通り過ぎる彼女を一瞬だけ見送ることが小さな幸せだった。

 そうなると『20時20分』が中心の生活となった。
 アルバイト探しも当初は夜までの業務や夜勤も構わないと思っていたが、日中に終わるものに絞って探した。
 何せ、その時間には家にいなくてはならないのだから。

 こうして晴れでも曇りでも雨でも雪でも雷でも、三百六十五日、春夏秋冬、同じリズムで男は暮らした。彼女とは顔を合わせることも会話もすることもあらず、ひたすら一瞬の見送りを続けた。
 そして、二十年が経ち、男は八十歳となった。二十歳が四回分かと医者に言う陽気さはあったが、体がめっきり弱くなっていた。ボケてもいないし、一人暮らしも出来ているのだが、百パーセント調子が良い日はない。やれ腰が痛かったり、やれ膝が痛いであればまだしも胸に鈍痛を感じた時は死を覚悟した。
 達観し、それも仕方がないと思った。だが、自分ははっきりと老いた一方で、『20時20分の女』、男が素敵な人と想いを寄せる彼女は一向に変わらなかった。
 雨が降れば傘を差し、雪の日にはブーツを履いていたが、彼女は老いることを知らないようであった。
 ただやはり男にとってはそんなことはどうでも良いことであった。
 時間がやって来て、彼女が現れて、横顔を見送って眠る。それさえ出来れば幸せだった。
 とっくに警備員も辞め、外部との関わりもない男にとっては『20時20分』だけが人生の楽しみだった。

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